2014年1月5日日曜日

「高齢者施設から救急搬送されるとどうなるか」

質問をいただいたので、お答えしていこうと思います。随時お答えするので、普段からの疑問などをお寄せいただければありがたいです。思いついたら、当ブログのコメント欄にでも書き込んでください。

==引用始まり==

初めまして。ツイッターではフォローさせていただきお話を読ませていただいております。「枯らす」技術そのものも興味深いのですが、高齢者施設に勤務する自分の仕事上、気になっていることがいくつかあります。

もしも高齢者を救急搬送して「延命希望」と家族が言った場合、どのような処置(治療?)が為されるのでしょうか。ご家族の意向を確認するときに、必ずこの話になるわけですが、家族がもしものときは救急搬送をと希望されていても、正直なところ救急搬送しても病院からは叱られ、入院にもならず戻ってくることもしばしばです。家族は、施設では無理でも病院なら助けられると漠然と考えているような面もあり、うまく説明できずにいます。90歳も越え、肺炎を繰り返すような状態で、何度も搬送すること自体が体力を奪っていくようにも感じます。

また、施設で看取る場合も、家族は何故か点滴を過大評価しており「ともかく点滴を続けて欲しい」という希望を示されますが、使える血管が次第になくなり、身体が水分を処理しきれなくなっているようにも感じる状態で、この点滴が本人を苦しめているのではないのか、という疑問も生じてきます。

私の知識不足に問題があることを承知で、不躾な質問を書いてしまいましたが、高齢者の救急搬送・延命処置についてと終末期の点滴の継続のについて、よろしければ教えていただければ大変うれしく思います。家族のエゴで本人が苦しむのは避けたいところですが、いわゆる「本人にも良かれと思って」という気持ちで誤った選択が横行しているのならば、そのことを面談など通して伝えていきたいと考えております。どうぞお時間があるときでけっこうですのでブログで取り上げてくだされば参考にさせていただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。 



==引用終わり==


要するに、「高齢者の施設にいる老人を救急搬送したら病院で何をされるのか」という施設職員からのご質問。アカデミックな回答はEARL先生のブログが詳しいのでご一読願いたい。http://drmagician.exblog.jp

一方、なるべく平易に一般の方でも直感的にわかるように、というのがこちらのブログの趣旨なので、ベタな臨床医がどう対応するのかって観点でお答えする。横道にそれるのはご愛嬌。


◯ 医者は「どこまで頑張らなければならないのか」とまず考える。

・90歳、意識消失。認知症で不穏、多発性脳梗塞で症候性てんかんで内服中。
・87歳、誤嚥性肺炎。脳梗塞で嚥下障害あり。
・93歳、尿路感染症。寝たきり、褥瘡あり。

みたいなのが高齢者施設からの搬送の典型だと思う。消防本部から救急要請の電話が来たらそりゃ受けるけれど、救急車から降りてきた家族に、「ご家族はどこまでの医療を希望されてるんですか」と聞いて、あまりにあっけらかんと「できることは全部やってください!」と言われても「はあ・・」となるのが多くの医療従事者だと思う。

逆に、93歳、心肺停止。ってのは蘇生処置をしても戻ることはほぼないので、搬送されてきてもがっかりだけれども、家族が納得するためのパフォーマンスと割りきって蘇生を行う。本当は特養とかの医師が死亡確認してくれたらいいのにと恨めしく思う。ちなみに、こういう人が担ぎ込まれてきて、「家族の希望」で心臓マッサージ(心マ)などを始めると、スタッフは悲惨である。胸を深く素早くリズム良く押すという、良質な心マを続けるにはせいぜい数分が限界で、僕みたいな非力な医者はすぐに選手交代しなければ続かないほどしんどい。屈強な救急隊員でも汗だくになるほどハードである。

すでに死んでいるような高齢者に、心マして点滴してクスリを入れて蘇生を試みても、効果が期待できないばかりか、心マで肋骨が折れたり、挿管で歯が折れたり、あちこちに点滴を刺されてあざだらけになったりして無残な姿になるばかりだ。スタッフも仕事だからやるけれども、そうやって家族が呼び入れられて、「蘇生を試みましたが無理でした。残念ですが、◯時◯分、死亡確認です」と告げられて高齢者は人生を閉じる。宣告後、「爺ちゃんよくがんばったね」と亡きがらに取りすがる家族には、正直言って違和感を感じる。爺ちゃんを最期まで傷めつけてすっきりしたのはあなた自身ではないのか。医者に何かをしてもらった、というか何かをさせた、というカタルシスは得られただろうが、爺ちゃんは果たして本当にそれでよかったのでしょうかね、と僕はいつも後味が悪い。

「夕飯を食べて横になって消灯の時間に介護職が巡回すると静かに寝ているが息をしていない、これは大変だと夜勤の看護師に相談し、救急要請」ってのがそもそも余計なお世話だと思う。僕なんかに言わせれば、特養といった高齢者施設にいる人は、いつ死んだっておかしくないほどの高齢者が大半だと思う。それを寿命というのだ。死亡確認すらできない施設だというのが気の毒だけれども、人が亡くなるのを見届けたことがないような介護職しかいない施設や医者のやる気がなかったりすると、「死にそう?そりゃ救急車呼んどけ。家族にはできるだけの対応をしてもらうために搬送しましたって説明しとけ」というのがマニュアルになってしまうんだろうなとも思う。

そんな責任転嫁で「もう寿命でしょ・・」って人を救命救急センターに運んできたって、そりゃ病院としては「はぁ?」となる。救命センターは多発外傷とか心筋梗塞とかの文字どおり瀕死の人の命を救う砦であって、老人の「延命センター」ではないので、丁重にお引き取りいただくほかない。


◯ 延命希望で行われる処置

ご質問のケースでは、「肺炎を繰り返す超高齢者で、救急車で搬送して病院を受診するも帰される程度で、家族は点滴を希望している」というありがちなパターンである。そもそも入院する必要がない状態なので、詳しい事情はわからないけれど、自分なら点滴もしないで帰す症例だと思う。

日本は不思議な国で、点滴をすれば良い医者で、なにもしないで帰すとひどい医者と悪しざまに言われる。前のエントリーでも書いたけれど、不必要な点滴なんてしないに越したことはない。とにかく点滴をしてくれるという心優しい整形外科の診療所で院内感染が起きて、死人が出たケースもある。http://idsc.nih.go.jp/iasr/30/348/kj3481.html )

「救急車で来たけれど軽症なので帰したいが、すぐに帰すと家族がやかましくて・・」という時に間をつなぐために点滴をすることもないわけではない。だけれども、不必要な点滴は血管内の水分を増やして心不全につながったりするので、普通の医者なら厳に慎むと思う。家族がイノセントに「点滴すれば元気になる」という「点滴教」を信じ込んでいるとその考えを改めることは僕らにも難しい。

とはいえ、食えなくて干からびた老人には必要があれば点滴をする。末期がんの緩和ケアはいろいろ研究がなされていて文献も豊富だけれど、老衰で枯れていく人をどうしたらよいかについては、あまり成書も出ていない。英語の文献はいくらかあるけれど、著作権云々が面倒なのでとりあえずwebのリンクをご参考までに。

http://ameblo.jp/setakan/entry-10933480443.html (大津秀一先生のブログ)
http://www.jspm.ne.jp/guidelines/glhyd/2013/pdf/02_07.pdf (日本緩和医療学会)
http://www.pharmis.org/jp/cancerpain/7.2.htm(東京薬科大学医薬品情報解析学教室)

ごく私的な経験からすると、食えなくて脱水になってくると一日中眠るようになり、苦痛はほとんどないように思うし、点滴でジャブジャブにするよりも水分を控えめに管理したほうが、長生きしているようにも思う。

昨年つくったマンガがあるので、参考になれば幸いです。
https://drive.google.com/file/d/0B8-ywYuJCx8BaHJDT0pvdEdjU3c/edit?usp=sharing
https://drive.google.com/file/d/0B8-ywYuJCx8BYUd3aUlKekFHczA/edit?usp=sharing

2 件のコメント:

  1. 心臓マッサージとアンビュを、家族に交代でやっていただいております。頃合いを見計らって、「まだ続けますか」と聞きながらフラットなEKGを見せてあげます。2、3回目には疲れが出てきて、「もういいです」と言ってくれます。

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  2. 蘇生に家族に参加してもらうというのはいいですね。
    おしゃれして寿司屋に奥さんと行って喉につまらせて搬送されたケースで、奥さんが状況が飲み込めずに「なんでもしてやってください」と叫ぶので、救急室に入れて、喉頭鏡をのぞいてもらって、「これが気管です。シャリがつまって完全にふさがってます。」と説明した上でフラットな心電図を見せて死亡確認したこともあります。裏口から帰るときには「じいちゃんも好きなモノ食って死んで満足だったと思います」と深々とお辞儀されました。

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