2014年1月8日水曜日

DNARの裏の意味

◯DNARとは

入院した患者さん、あるいは家族からDNAR(do not attempt resuscitation)の承諾をもらうことがある。病院によってはDNR(do not resuscitation)というかもしれないが、こっちはやや古い言い方のようだ。言葉の詳しい定義や背景は日本救急医学会のwebをご覧いただきたい。

高齢者医療に関してDNARといえば、ぶっちゃけた話、「息が止まってたら、そのまま蘇生なんかしないで死亡確認しますけどいいですよね?」ということを意味する。承諾をもらうときには相手をみて、「深夜の巡回とかで見つけて・・」とか、飲み込めるような具体的なシチュエーションを枕詞にして、ショックを和らげる工夫をする。信じられないことなのだけれど、爺ちゃん婆ちゃんが無限に生き続けるかのように思っている家族が案外多いからだ。入院したらヒットポイントのゲージが満タンになって帰れるかのように錯覚する人も多いし。

医者の本音としては、病院で大勢のスタッフの目の前で倒れた若い人ですら蘇生は容易でないというのに、息も絶え絶えの高齢者は蘇生したって厳しいのは目に見えているので、あまりやりたくないのだけれど。


◯ 今夜も眠れない

当直をやっていると、褥瘡だらけで関節もガチガチに拘縮して、どうみても2週間以上前からメシがほとんど食えてなかったと思われるのに、「急に具合が悪くなったんです!」と言い張って救急車呼んできた、もはやカウントダウン状態の高齢者がくることも多い。自分はそういう老人は入院する必要なんてないと思っている。老衰に抗うことができる治療なんて申し訳ないが、ないんだもの。本人の意志を尊重して自分の家で看取ってもらうのがスジじゃないかと思うのだけれど、救急車で来た患者を家に帰すときには少なからずトラブルになる。

こういう人たちを相手に、夜中の3時とかに、こんな不毛なやりとりを何度と無く繰り返してきた。

ぼく  「寿命なので病院でやれることはありません。連れて帰ってください」 
家族A 「心配なんで入院せさせてもらえませんか」
家族B 「うちらも仕事してるんで、日中こんな年寄りがいたら困るんです」
家族C 「お前ら税金(筆者注:医療費への税金投入のことらしい)で飯食ってんだろ。患者の家族が言うことにどうして従わねえんだ」
ぼく  「病院は医療が必要な人が入院するところです。老衰は治りませんので・・・」(最初に戻る)

救急車よりも先回りして病院に到着して、当直医をどつくほど元気な家族だったりするから、多勢に無勢というところはあるが、筋はきっちり通さねばいけないと思う。だけれども、僕のつたない交渉力ではどうしようもなくて、「経過観察」名目で入院となることもある。全例そうしているわけではないことは、自分のちっぽけな名誉のために強調しておくけれど。

そんなときには、「入院中に死ぬかもしれませんよ」と直截的に言い、「心臓や呼吸が止まったら蘇生を希望しますか」とも聞く。だいたいの家族は「蘇生って何ですか」と聞き返すので、「心臓マッサージや気管挿管、薬の投与などです」と答える。だいたい救急車で死にかけた老衰の人を送ってよこす家族は、「そこまでしなくていいです」とこともなげに言う。

治療(と言っても老衰に治療などないが)の内容についても、突っ込んだ話し合いをしていく中で、「点滴はしなくていいです」「酸素、いりません」というので、「じゃあなんで連れて来たんですか」と聞くと、「いやー、家で死なれると迷惑なんで。うち借家なんで、大家さんにうるさく言われるとアレなんでー」なんてホンネが聞ける。よくある話だけれど。

僕らからすれば、「一生懸命の治療をしたうえで、それでもどうしようもないときには、それ以上ご本人に鞭打つのはひどい話なので、蘇生処置はしません」というのが本来のDNARなんだろうと思う。だけれども、老衰の人を連れてきた家族なんかからすれば、「蘇生なんてまっぴら御免だし、とにかく治療もしなくていいから病院でさっさと枯らしてほしい」というものなんだろうと思う。


○病院は死ぬ場所か

しつこいけれど、病院には老衰の人を連れてきてほしくはないので、かかりつけのドクターに往診なり訪問診療をしていただくのがベストだと思う。ベテランの先生だったら、本当に見事に「枯らし」てくれる。点滴で水膨れになることもなく、棺から水が垂れることもない。水分が抜けて軽くなった遺体を持ち上げて、その軽さに家族が感極まって落涙するとも聞く。石川啄木の短歌みたいなものだろう。

かなり前になるけれど、僕が学生の頃、東京都監察医務院に見学にいったことがある。いわずと知れた法医学のメッカである。東京23区で医療機関が絡まないで亡くなった人には、監察医の先生が車に乗って現場に検視に行く。法医学教室の事件ファイルとかテレ朝の刑事ドラマみたいなケースはほとんどなくて、高齢者の孤独死がほとんどだった。
警察署のモルグで監察医の先生がポロっと言っていた。「かかりつけの先生がいたら、警察が臨場して俺たちが検視にいくような大ごとにはならなくて済んだんだろうにね」と。

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