2015年12月3日木曜日

酸素で枯らす

◆酸素編

(1)概要

大量の酸素が必要な状態の人に対し、酸素投与を止める。主要な臓器への酸素供給が低下するため、臓器の機能不全をきたし、死に至る。

(2)事前準備

◇モニターを外してもらう

患者は指先に洗濯バサミのような機械を付けられていることがある。酸素飽和度、通称サチュレーションのモニターだ。長いのでこの項では、単にモニターと呼ぶ。これを介して、病室にいる患者からナースステーションのディスプレイに情報が伝送され、看護師が監視している。

「じゃあ、誰も画面を見ていない時ならやり放題じゃないか」というのは甘い。ボケーッとモニター画面を見続けていられるほど医療現場はヒマではないので、異常があると看護師が携帯しているPHSが鳴るなどの仕掛けがしてあり、異常があれば看護師が飛んでくる。つまりモニターが患者についている間は酸素をオフにするとバレてしまうわけだ。

ならば、モニターを外してもらうにはどうするか。
異変を早く察知するためのモニターは、処置をしなくてよいなら必要ない。
先に述べたとおり、「急変しても何もしないで」という意思表示をしておけばよい。
一応、医療現場での意思決定の責任は医者にある。受け持ちの看護師に伝えても医者に伝わらないこともあるので、医者を捕まえてアピールしておくか、文書でも作って渡しておけばベストだ。

(3)手法

◇患者にくっついた装置には手を加えない

鼻に刺さっている「鼻カヌラ(カニューレ)」、口や鼻を覆っているおわん型の「マスク」などは決して外してはいけない。

「仕事」を完遂して患者が死亡すれば、看護師や医師が病室にやってくる。その時に患者に装着されているはずの装置が外されていると、大変だ。病院にもよるのだが、「事件か?事故か?」といって警察に届け出がなされてしまうことがある。捜査が始まっては面倒だ。

◇酸素のツマミをひねる

酸素を投与する装置はさまざまなタイプがある。人工呼吸器とかNPPV、ネーザルハイフローといった機械の操作は慣れていないと難しいし、酸素流量の記録が残ることも多いのでむやみに手を出すと墓穴を掘る。ここでは、操作が簡単なシンプルな装置にしぼって説明する。

このやり方だと酸素投与を止めたあとで、つまみをひねって酸素流量を元に戻してさえおけば、なんにも証拠が残らない。これが最大のメリットだ。

壁のパネルに管が刺さっているのを見たことがあるだろう。緑色が酸素の配管だ。古典的なタイプでは、透明な筒の中に玉が浮いている。

その下にあるツマミをひねって玉を一番下に落とすと、酸素の流れは止まり、酸素供給がゼロになる。止める前に、酸素がどれぐらい流れていたかを覚えておこう。「仕事」を完遂した後で、カムフラージュのために玉を元の位置に戻さなければならないからだ。もし患者が急変した時に酸素が止まっていたのなら、医療事故として警察沙汰になってしまう。

◇酸素中止が効果的な人


 酸素を流す量によって、患者に装着されているデバイスは異なる。左右の鼻の穴にささっているタイプを鼻カニューレ(鼻カヌラと呼ぶ人もいる)というが、これだと大した流量ではない。せいぜい5L/分程度なので、酸素をゼロにしてもたちまちクリティカルなダメージになることは少ないだろう。

一方、鼻と口を覆うタイプのマスクでは10L/分ぐらい流せる。さらに顎のところに袋がついたリザーバー付きマスクだと、15L/分まではいける。こうしたマスクが乗っている患者をみたら、酸素の量を見てみよう。ふた桁も流しているようなら、一挙に酸素をオフにすれば効果てきめんだ。


◇酸素を止めたらどうなる

モニターがついていれば、酸素飽和度(サチュレーション)がみるみる下がっていくのがわかるだろう。酸素が入ってこなければ、心臓や脳といった重要臓器への酸素供給が当然落ちていく。酸素の消費量が著しいこうした臓器はたちまち機能が低下し、やがて機能停止に至る。

もともと高流量の酸素が投与されている患者では、すでに息も絶え絶えなので、声も出せないことが多い。「苦しい!」とか「やめてくれ!」とか断末魔の叫びも出ないだろう。声は出せなくとも、苦しさに抗おうとしてアドレナリンなどが一気に放出される。このため、一過性に脈拍数が増えたり呼吸数が増えるが、逆に酸素の消費が増えて、残り少ない酸素を使い果たしてしまい、「酸欠」状態に拍車がかかる。

 酸素が足りなくなると、先に述べたような下顎呼吸が起こり死に至る。



2015年11月28日土曜日

点滴で枯らす

◆病室という密室

入院中の患者は具合が悪くなっていよいよ亡くなるかも、という状態になると個室に移ることが多い。部屋でずっと付き添っている家族がいると、家族愛を感じて微笑ましい気持ちにもなる。忙しい病棟では、看護師が処置の手伝いやら点滴やらで引っ張りだこなので、ナースコールにすぐ応じることもできないので、家族が患者の身の回りのお世話をしてくれていると非常に助かる。

ところが、こうした「家族愛」と見せかけて、ぼくら医療者も寝首をかかれることがある。看護師や医者の目の届かないところで、家族が入院中の患者、とりわけ高齢者に危害を加えてもバレることは珍しいのだ。さすがに壁に患者の頭をゴッツンゴッツン打ち付けてすごい音がしたとか、ボコボコに殴ってアザだらけにしたとか、なにがしかの証拠が残ればぼくらも気づくが、足がつかないようなプロ級の犯行では見過ごしてしまう。


実際、「あまりにおかしなタイミングで急変して亡くなったので、きっと家族がなにかしたのかもしれない」とスタッフ同士でひそひそ話すような患者さんは確かにいた。裏付けるものがなにもないので、警察に届け出ることはしなかったけれど。


そんな手口をご紹介しよう。


どれも入院中、手のかかる老人を家に連れて帰りたくないから「殺害」したと思われるパターンだ。証拠がないのだから「チーム・バチスタの栄光」なんかよりも巧みである。しかもあの小説のように死亡後に画像を撮っても決してわかることのないのだから、完全犯罪といってよい。


ここではリアリティを出す便宜上、犯罪者側の思考をなぞって記載する。くれぐれも、ぼくがこれまで勤務していた病院のスタッフが入院患者を殺めたわけではないことは強調しておこう。



◆点滴編

(1)概要
もともと心機能が低下している老人に、急速に大量の補液を投与することによって、急性心不全を引き起こし、そのまま死に至らしめたもの。

(2)事前準備
医療従事者だって人間である。なるべく救命のための投薬や蘇生行為などをしないでいてくれるよう、深層意識に働きかけておく。

◇従順な家族を装う

いったん医療者に面倒な家族だと思われると、急変した際にも訴訟リスク回避のために蘇生やら何やらをされてしまう。愛想よく振る舞い、いつも感謝を絶やさない。間違っても「リハビリが足りない。入院前と同じにしてくれなければ連れて帰れない」とゴネたりしない。


◇あらかじめ”DNAR”を依頼

「患者が急変した!」となると、ふつうは医者や看護師のアドレナリンが出まくって、あれこれ医療処置をされてしまう。これを防ぐためにはDNAR(Do not attempt resuscitation「蘇生行為をしません」の意味。DNRともいう。)の意思表示をしておくことが重要だ。

本来は、「心肺停止になっても心臓マッサージなどはいたしません」という意味だが、多くの病院では、「具合が悪くなっても、積極的な治療はしないでそのまま静かに看取ります」の意味で使われている。

カルテに「急変時DNAR」の記載があり、付き添いの家族も「そっとしておいてください」と言えば、具合が悪い患者を発見してしまった医療者も、「家族の希望なので静かに看取りました」と言い訳できる。余計なことがされないで済む。

具体的には、「昇圧薬・強心薬・透析・人工呼吸器は絶対に使わないでください」と言おう。素人っぽく言うならば、「急変した時にはそっと看取ってください」とか「本人が苦しむような延命処置とか、蘇生処置はなにもしないでください」と言えばグッド。

できれば、「本人は元気なときに『延命処置とか蘇生処置はなにもやらないでほしい』って言ってました」と言う意思表示があればベスト。医療者は躊躇せずに天寿を全うしてもらうことができる。そうした意思表示である「リビングウィル」は日本尊厳死協会のサイトを参照願いたい。(http://www.songenshi-kyokai.com/)


◇点滴ラインを抜かせない

病状が回復すれば点滴は抜かれる。そうなると、「仕事」のための点滴が行えなくなる。「点滴ぐらいつづけてもらえませんか。食欲ないので」とスタッフに頼み込んでおく。

短時間で大量の輸液を入れることを考えれば、腕や足に刺さっている細い点滴ラインではやや不安が残る。急速に注入しようとしてかなりの圧力がかかると、血管の外に漏れてしまうことがあるからだ。水分や薬剤などを簡単に注入できるのは、CVこと中心静脈カテーテルだ。結構太いので血管外に漏れる心配はない。ターゲットのどこに点滴が刺さっているかをよく見ておこう。首の横側や鎖骨近辺、あるいは足の付根のどれかに刺さっているとCVラインである。


(3)決行

◇本当の急性期は避ける

 医者も看護師も、入院して間もなくの時期が患者への関心が高い。集中力とやる気が高まっている頃でもある。ちょっとした容体の変化でも、写真や採血などをオーダーし、専門医が呼ばれて薬が追加されてしまうので、せっかくの「努力」がふいになる。

◇転院を持ちかけられるような時期で

スタッフの関心が薄れるのは、病状が落ち着いてきた時期だ。治療としてはもうほとんどやることが無くなったが、具合が悪くて長く寝ていたために筋力が落ちて動けなくなった老人。要は、入院している必要はないが、ベッドを塞いでいる老人。このタイプが一番困る。次から次へと救急車が来るような病院であればあるほど、さっさとどこかに行ってもらいたいので、リハビリを受けてくれる施設に順次移ってもらうわけだが、どこも混んでいて、病院に長居される始末。

行き場はともかく、病院からいなくなってもらえればいいので、実は転院するか、転院前に死亡するかはあまり大きな違いではない。むしろ他の施設に移るとなると紹介状を書いたり、家族や相手方との面談をセットしたりとやりとりが発生して、病院スタッフはめんどくさい。表には出さなくとも「いっそ突然死んでくれないか」と思っているスタッフもいるだろう。

◇土日の夜中がベスト

 医者や看護師が頻繁に病室に出入りする時間帯は避ける。日中とくに午前中は、医者の回診や体を拭いたり点滴をしたりという看護ケアの時間であり、バレてしまう可能性が高い。平日の午前中にはルーチンで採血などが入れられることがあり、採血の異常に気づいた医者が余計なことをするかもしれない。

したがって医者がめったに来ず、看護師の配置が少ない時間帯がよい。土日祝日はもともと看護師が少ないから狙い目だ。深夜勤(深夜1時頃~未明)の時間帯がベストだ。だが、たいていの病院では、深夜0時半~1時ぐらいが申し送りの時間だ。この間に準夜勤と深夜勤の看護師の両方が病棟にいる。夜であってもマンパワーが充実しているこの時間帯を避けると良いだろう。


(4)手法

◇脱水にしておく

補液で心不全を起こすには、心臓の収縮力を超えた大量の液体が血管内にたまっている必要がある。腎機能が良ければ投与した液体がすぐに排泄されてしまう。すぐにといってもそれなりに時間はかかるのだが。さらに腎不全の状態ならば、体に入れた液体が尿となって出て行くまでの時間をいっそう稼ぐことができる。大量の急速輸液によって心不全になる可能性を高めることができるといえよう。

腎不全のうちでも比較的カンタンに起こるのが、腎前性腎不全だ。腎臓に達する血流が減るタイプで、腎臓がダメージを受けて尿量が減る。決行する前日にでも利尿薬、比較的手に入りやすいラシックス®の錠剤なんかを飲ませておくといいだろう。

尿が大量に出るので、脱水にするのはたやすいが、尿量測定をしている場合だと、尿量が不自然に増減したら担当の看護師にバレてしまう。足りない分は尿バッグに水道水でも入れて薄めておけば良い。尿が1日1500mlも出ていれば、急性腎不全を疑われることは少ないだろう。そもそも検査も診察もろくにされないような、「放置キャラ」の患者にしておくことが重要なのだ。先に述べた「DNAR」の申し出がここで効いてくる。

◇5分で500mlがミニマム

ビールの一気飲みで中ジョッキ2杯だと、1Lぐらいだろうか。量が同じぐらいでも胃袋に貯まるのと、ダイレクトに血管の中に水が入るのとでは大きな違いだ。この量を5~10分で血管内に注ぎ込めば、心臓は急激な水分の増加に耐え切れずにパンクする。心臓が風船みたいに破裂するわけではないが、老人ではこの程度でも血液を循環させるという機能が破綻する。


しかも生理食塩液(通称:生食(セーショク))には塩分が含まれているので、浸透圧も手伝って心不全が急激に悪化する。あふれた水が肺にたまり、肺水腫となる。肺が水を吸ったスポンジみたいに水浸しになっている状態だ。有効な換気ができなくなる。こうなった場合、何も治療をしなければ、心不全・呼吸不全で息を引き取ることになる。


ちなみに大量の補液を必要とする病気の1つに敗血症がある。救命センターで扱うような重篤な病気だ。血圧が下がるので、厳重な管理のもとで大量の輸液をするとはいえ、1000~1500mlを入れるのにさすがに30分はかける。桁違いに急速に輸液をすれば、人体の調節機能が追いつかないという証左である。


◇高圧で点滴を入れる

点滴台に吊り下がっている点滴ボトルからは、点滴のコック(クレンメという)を全開で流しても、普通は5分間で500mlも体内に入らない。体内に点滴液を送り込む圧力は、患者の体と点滴台に吊るしてある輸液バッグの高さの差で得られる。加えて静脈には陰圧といって心臓に向かって血液を吸い込む力が働く。

これらを合わせた程度の圧力では輸液のスピードが足りない。無理やり輸液を押し込むためにはポンピングという操作が必要だ。大きな注射器で輸液を吸って、手の力で体へ注入、吸って注入、を繰り返すことになる。


(5)看取り方

◇急変しても何もされないために

看護師の目が届かないところでこうした「仕事」を行ったとしよう。狙い通りに患者の容体が悪化し、血圧や脈拍や酸素飽和度などが突然悪化したとする。看護師もプロなので、患者の状態変化にはつねに目を光らせている。異変を知らせるモニターのアラームが鳴れば、持ち歩いている医療用PHSも連動して鳴るので、病室に飛んでくる。

予想しない状態の悪化を急変と呼ぶ。急変だと医者や看護師の血が騒ぐので、そのまま何もされないことはまれだ。発見した看護師が慌てて、「コードブルー、コードブルー、医師は◯◯◯号室に集合して下さい!」なんて全館放送がかけられて、何十人もの医者が病室にあふれかえる、ということもまれではない。

急変時に医療者はどう振る舞うか。一番困るのは急変時の対応が決まっていない時だ。いわゆるフルコードというやつで、気管挿管、人工呼吸器装着、昇圧薬投与などがあっと言う間に繰り広げられる。みるみるうちに管だらけになってしまう。枯れていく老人にそこまでやりたいと思っている医療者も正直いないだろうが、「どうして見殺しにしたのか!」などと後々になって言ってくる家族もいるので、不測のトラブルを避けるためにはこういう対応にならざるを得ないのだ。

何度も書いている通りでしつこいが、そうした事態を避けて静かに看取ってもらうためには、「DNARでお願いします」あるいは「急変したら、本人が苦しむような蘇生処置とか延命処置は一切やらないでください」と担当医にあらかじめ告げておくことが極めて大事なのだ。


◇どのタイミングで看護師を呼ぶか

あなたが患者に付き添っている家族で、先に述べた「仕事」を行い、医療スタッフに余計な手間をかけさせずに死亡確認をさせ、「仕事」を完遂したいとするとしよう。

蘇生の可能性があろうがなかろうが、あらかじめDNAR(蘇生不要)の方針となっていれば、家族の反対を振りきってまで心臓マッサージだの電気ショックだのを始める医療スタッフはいない。病室に心電図やら呼吸数のモニターがあればそれで心肺停止を確認できるのだが、モニターはナースステーションにもあって、同じ情報が見られる。心拍数が落ちたとか異変があれば看護師が来てくれて、死亡確認が必要となったら医者が呼ばれる。そうなると「あー、誠に残念ですが、◯時◯分ご臨終です。」というお定まりの光景が見られるだろう。

DNARの方針が決まっていなかったりすると、蘇生する可能性が絶対になくても、医療スタッフが押し寄せてきて蘇生処置が行われる。彼らの努力を尻目に高みの見物ということもできるが、あまり気持ちのよいものではないだろう。「おじいちゃんがかわいそうなので、もうその辺で・・」など小芝居を打ってでも適当に止めてほしい。

心電図などのモニターをつけていない病院もある。療養病床というのだが、救急病院から順々に転院させられて、寝たきり老人が行き着く先の終着駅みたいな病院などではありうる。救急病院よりも看護師の数も巡回の頻度も圧倒的に少ないので、ベッドで静かに寝ていると思われた人が、翌朝になったらじつは死んでいて、死後硬直でカチカチになって発見されるということも少なくない。お見舞いに来る親族もおらず、棄てられたような老人ばかりの施設もあり、そこでは「親類の死に目に会えなかった」と文句をいう人は皆無だ。ぼくも大学院の頃にバイトで当直させてもらったことがあるが、当直医として遺族に連絡しても遺体の引取りすら拒否するぐらいなのだから。

横道にそれたが、モニターがつけられていないような施設に入院している場合には、心肺停止と対光反射がないことを確認してから、「なんだか、おじいちゃんの様子がおかしいんです」と難しい顔でナースステーションに歩いて行って、看護師に告げよう。「蘇生処置はしなくてよいです」といえば、だいたい静かに看取ってくれる。

ちなみに脈拍の確認は、成人では頸動脈がよいとされる。自分で試してみるとよいが、のどぼとけの横で拍動しているのが頸動脈だ。これの拍動が無くなるのをみるのだが、一般の人にはわかりにくいと思う。ペンライトで瞳孔を照らしてみて、光が入ると瞳孔が広がるという対光反射がなくなるのを見てもよいが、普通はペンライトなど持っていないだろう。








人が死んだという大きな出来事を前にして、あまり平然としているのも不信感を持たれる。急変して死亡したとしたらなおさらだ。なんだか状態がおかしい、という感じで行くのが無難だ。



◇急変から死亡までの経過

生命が維持できなくなった時、人がどうやって死んでいくのかについて知識がないと、状態が悪化するのをみて動揺してしまうかもしれない。看取った経験のない人は慌てるに違いない。あらかじめ知識があったほうがよい。

急速に大量補液をした場合に予想される経過は、おおむね次のようになるだろう。

・呼吸が苦しくなって、肩で呼吸をするようになる。

・痰の量が増える。心不全を反映して、赤くて水っぽい、泡が混じった痰のこともある。これがみられれば肺水腫が起こっている。

・血圧が下がる。手首で脈を触れなくなれば、そろそろである。

・尿の量が減り、しだいに出なくなる。性器におしっこの管(Foleyカテーテル、尿カテともいう)が入っている人では、バッグにたまっている尿量を見ると良い。全く出なくなれば、もはやカウントダウンが始まる。

・下顎呼吸といって、顎をしゃくるような呼吸が出てくる。この段階ではもう意識はない。苦しむこともないだろう。これが出ると1~2時間で死に至ることが多い。

・やがて呼吸の間隔がどんどん間延びしていく。呼吸回数がどんどん減る。モニターがついていれば、血液中の酸素飽和度が上がらなくなるのがわかる。

・心拍数もがたっと減り、心電図波形に現れる山の数が減っていく。

・呼吸が止まってから心臓が止まる。死ぬことの同義語が「息を引き取る」というくらいなので、息を吸ったまま事切れることが多いようだ。

・最期にため息のような呼吸をする人もいる。別に患者が生き返ったわけでもないし、苦痛を表すものでもない。呼吸や心臓が止まってもしばらくは脳の一部が生きているので、二酸化炭素がある程度貯まると起こる反射だといわれている。動じないことだ。





人が弱って死んでいく通常のプロセスでは、「尿が出ない+下顎呼吸」となれば、余命はせいぜい数時間といったところだ。しかし急速に輸液を注入して、心不全を強制的に起こすのであれば、こうした一連の流れが数分~数十分で起こるのではなかろうか。

2015年9月19日土曜日

ワタミの介護が厳しい理由

国が猛プッシュしているのが、「住み慣れた家で最期まで」という在宅医療。

たしかに、患者の家と医療機関との距離を物理的に遠ざけておけば、ちょっとしたことで医療費が使われなくて済むのかもしれない。となると、弱った老人が家にいるとお世話になるのが介護だが、そのあたりもなかなか複雑だ。


●急性期病院の日常風景
◇帰ってきてほしくない家族、帰りたくない患者

入院して治療が済んで、もう帰るだけになった患者。帰る前にいろいろとリクエストがある。自宅に帰ればほったらかされることを知ってか知らずか、帰る間際に医療従事者に甘えているようにすら映る。

「せっかく入院したついでだから、昔っから頭が痛いんでCTとって」とか、
「そういえば、ぎっくり腰で痛いからMRI撮って帰るから」と勝手に決める。

ガンコな老人だと言い出したら止まらない。丁寧にこちらが話を聞いていても、
「俺の言うことがきけないなら、もしなにかあったら医療ミスで訴えてやる」とか言い始めるし、あげく「県議会議員にうったえてやるからとか」とヒートアップしたりして、手に負えない。

患者だけではなくて家族も同様だ。

高齢者が家にいる間は家族もそれなりにお世話していたが、病気やケガでいったん入院して、楽を知ってしまうと、えてして家族はもう過去のような生活には戻りたいと思わないものだ。家に帰って来られると困るので、「おじいちゃんは、胸が苦しいと言ってました」とか「手がしびれるので」とかあることないこと言って、入院を引き延ばす工作に精を出す。

こっちも治ったなら早く帰ってもらいたいので、それは別の機会に調べるように説得する。DPCという保険制度上、入院した病気以外をだらだら診ることはできないのである。これは医者ならだれでも持っている技術。


◇退院の話を切り出すと
前フリはさておいて、核心となる退院の話をすると、だいたいこんな反応だ。

「うちではちょっと面倒みられる人がいないもので」

「長期間居られる病院に転院させてください」

「施設が空くまで、ここに居させてもらいますから」

「入院した時よりも動けなくなっているので、リハビリをやって立って歩けるようにしてください」
 (来たときからすでに寝たきりである。関節が拘縮していて、リハビリの効果がそこまで見込めない)

「在宅医療はすぐに対応してもらえないじゃないですか。病院の方が安心です」

などと自分の家に戻ってくるのを懸命にブロックする有様。家族が何人も一緒に来て、2枚ブロック、3枚ブロックとなることもある。だいたいは同じようなコースでの攻撃なので、こちらもだいたい同じような角度でスパイクを打って得点を決めて、退院に持ち込む。

まあ困るのは、施設とか転院先の病院のベッド空くまでは無下に追い出すわけにもいかないことだ。それも厚生労働省様のお達しで決まっているのだ。治療するでもなく、ただ施設の空きを待つだけの患者がダラダラと在院することになり、こうして救急病院の貴重なベッドは埋まっていく。

●入院有利な保険診療が在宅を阻む

僕が言いたいのは、保険診療のせいでオトクに入院できてしまうことが、在宅医療の普及を阻んでいるんじゃないかということだ。転院待ちの人でもその気になれば、いつまでも入院できてしまう。一泊入院すると何十万円もとるようなアメリカの医療制度だったら、まあありえないだろう。早く帰らないと破産してしまうのだから。

老人の場合だと、あらゆる優遇措置を駆使すると、激安で入院できる。

レセプトをチェックしていると、10万点(100万円)以上の医療費を使いながらも、自己負担2万円とかいう人がパラパラいて驚く。差額は当然、若い人や現役世代が払っているわけだが、家賃4万、食費5万、光熱水料 2万とか積み上げていくよりも、入院していた方が安いんだからそりゃあ家なんか帰りたくはないだろう。医療費払っても、年金はしっかり手元に入ってくるんだから。

家族もはじめての入院だと、入院費用を気にしておっかなびっくりだが、支払い金額が異様に安いことを知ってから態度がデカくなる。「こんなもんなら、いつまでもおいてもらおうかしら」 となるわけだ。医療費と介護保険を通算する制度もあるので、ますます負担額は減る。

●つぶれそうで困っているというワタミの介護

ワタミさんの有料老人ホームの料金はこんな感じ。

①入居時にかかる入居一時金(前払金)

入居一時金(前払金)プラン:終身にわたる利用権の費用で約300万~1,300万円前後。
入居時にお支払いいただき、その後は必要ありません。入居一時金には、償却期間が定められており、償却期間が終了する前に退去された場合に未償却部分が返還されるようになっております。償却期間や償却方法はホームよって異なります。

月払いプラン:入居一時金(前払金)は必要ありません。

②月々の月額利用料
入居一時金(前払金)プラン:お食事代込みで約178,000円~238,000円前後です。
月払いプラン:上記月額利用料に加えて、家賃相当額が必要になります。

③介護保険の1割負担額
介護度、市区町村によって違いますが、月々約6,000円~27,000円前後です。

④その他
おむつ代、日用品費、水道光熱費などは実費をご負担いただきます。

普通の家庭が、老人のために月々18万から24万も出せるだろうか。

僕が勤める病院がある地域だと、そんなリッチマンはほとんどいないので、有料老人ホームはいつでも空きがある。ワタミが赤字になるのもうなづける。

じゃあ老人は何処にいるのかと言えば、病院にゴネて施設の空きが出るまでいつまでもいるわけだ。そしてその料金は1~2万。本当にカネがなければ、市役所に泣きついて生活保護になるという道もある。そうなると、弱っている老人ならば養護老人ホームなどがほぼ無料であてがわれることになる。民間企業の競争力とか優位性などないに等しい。

税金払わなくていいような社会福祉法人が役所から補助金受けてつくったような施設と、銀行から金借りてなんとか利益を出そうとしている民間企業とでは、同じ土俵では戦えないのだ。

日本人はみんなが言うほど金持ちでもないし、言葉は悪いが「もう死ぬだけ」の老人に対して、家族が大枚はたいてくれるとも思わない方がいい。


2015年9月6日日曜日

誤嚥、肺炎、ステルベン

夏に老人がかかる病気の代表選手といえば熱中症。言っていることがめちゃくちゃだったりすると、もともと認知症なのか、脳がオーバーヒートしているせいなのかはわからないこともしばしば。

どうやら認知症になると、暑い寒いといった感覚すらも鈍感になるようだ。「蚊に刺されるから」と真夏に窓を閉め切ったり、「寒い寒い」と布団を体に巻き付けている高齢者もみたことがある。「盗聴されるから」とか「毒ガス攻撃をされるから」とかと必死の形相で訴える人は、別な病気があるようなのでその手の病院にご紹介したりもする。

さて、9月にもなると涼しくなってくるので、夏の風物詩の熱中症もなりを潜めて、いつもの病気が目立つようになる。

そう、誤嚥性肺炎だ。

誤嚥性肺炎は人間の最終形態というか、ラスボスである。これに勝つことは残念ながら不可能だ。古くから「肺炎は老人の友」というそうだが、人の死亡率はどんな医療行為を行っても100%という現実は変えられない。だから医療なんてクソゲーだ、と喝破する人もいる。まあ、その手で有名な「時空の旅人」のように、どんなにがんばってみても、結局エンディングは残念な結末という意味では、なにをやっても虚しい面はあるけれども、夢やロマンだけではご飯が食べられないのはぼくら医療従事者も一緒。

例えば、よくあるシナリオをみてみよう。

介護施設入所中
    ↓
認知症がひどくなった
    ↓
自力で食べなくなった
    ↓
食事介助が必要になった。
    ↓
食事でむせるようになった
    ↓
 誤嚥性肺炎 発生!
    ↓
救急病院に搬送
    ↓
点滴・抗菌薬・絶食・リハビリ
    ↓
ある程度回復するが体力低下
    ↓
施設に戻るが再び誤嚥
    ↓
治療したが嚥下機能は低下したまま
    ↓
いよいよ食べられなくなった
    ↓
食べられないので介護施設では面倒見切れない
    ↓
 胃瘻にしますか ・・・ いいえ
    ↓
転院先探し
    ↓
みつかりません。
    ↓
自宅に連れて行きますか・・いいえ。老人介護で共倒れはまっぴら
    ↓
行き先がありません。
    ↓
コマンド
 ①国や役所に電凸する
 ②選挙でK党に投票する
 ③コネを使って入院を求める
 ④ドクターキリコに消してもらう
 ⑤入院中の病院からの電話に出ない
 ⑥担当医を恫喝する


実際、行き場のない老人の誤嚥性肺炎だと、医療現場がどうにかできる部分はほとんどない。

治療がとっくに終わった人は、家に帰れればいいのだけれど、そうもいかない。家に連れて帰ったら家族が面倒を見なければいけないから、それはそれで家族には大きな負担だとは思う。だが、入院していれば社会がかぶるコストでもあり、老人は邪魔者よばわりされるゆえんである。

檀家がいなくなったお寺が増えていると聞く。本堂とかに、もう治療もしなくていいっていう人たちを寝かせておいてもいいんじゃないかとすら思う。どこかのお寺で引き受けてくれるのだったら往診にいってもいい。救急車がじゃんじゃん来る病院の医者は、声に出さなくても、多かれ少なかれそんな気持ちで行き場のない患者さんを案じているものだと思う。

結局治らない誤嚥性肺炎。
どうせ避けられない未来なら、笑い飛ばしてしまえという発想も成り立つ。

昔、大学の学園祭で聞いたラップ。

「誤嚥、肺炎、ステルベン*、ちぇきら!」

*sterben(独)より。死亡を意味する医療界のスラング)

2015年6月20日土曜日

痰が詰まり、とどのつまり

痰がつまると窒息して死ぬ。

 病院の患者でいう痰は、道行くオヤジが「カーッ、ペッ」と道路に吐いているような、ネバネバした唾液ばかりとはかぎらない。呼吸器系にたまる液状の物体のことを広く「痰」と読んでいる。

 唾液が気管や肺に落ちてたまったもの、心不全や腎不全による肺水腫で肺胞から染み出してきたような血液中の水分、はたまた下気道感染で生じた白血球と病原体の死骸など、ひとくちに痰といっても意味はさまざまである。 

いずれにせよ、挿管して人工呼吸管理をしている患者だと、定期的に痰を吸引しなければならない。

気管がちくわだとすると、挿管だとその中にストローを入れたイメージになる。ストローが人工呼吸器につながるわけだ。ちなみに筆者はちくわにきゅうりを挿したものが好物である。

そのままだとストローとちくわの内壁に隙間ができる。これだと空気が漏れて換気がままならないので、カフ(風船)で密着させて空気の漏れを抑えるような仕組みになっている。カフの上が口、下が肺につながる。

口からたれてきた唾液がカフの上に溜まり、気管との隙間をたれて肺の方に落ちていって咳が出たり窒息することもある。カフ上吸引と言って低圧で痰を持続吸引してくれるマシンは以前からあったが、カフの下からも痰を持続吸引してくれるマシン(こういうすぐれものも最近世に出た。開発費も自腹だろうし、バカ売れする商品でもないのに患者さんのためを思って開発された先生方には頭が下がる。  

とカフ周辺の痰を吸引するのはわりと簡単だが、問題は痰が出てこない患者さんだ。気管支の奥深くに詰まっている痰をどう取るか。咳嗽反射で悶絶しようとも、苦しいが声が出せないので殴られたり蹴飛ばされたりしようとも(ふつうは鎮静をかけているのでこうはならないが)、うりゃうりゃうりゃーと吸引チューブを奥までつっこみ、引ける限りの痰を吸引してくる。鬼吸引とわたしは勝手に呼んでいる。ごめんなさいね、痰で死ぬよりマシだろうけどつらいよね…と念じつつ、ひたすら吸引。肺や気管の酸素まで吸引されて酸欠になるので、吸引と酸素投与をサンドイッチにして時間をかけて吸引する。吸引圧で粘膜から出血して血痰が出たり、血まみれになることも稀ではない。ちょうどそのへんで面会の家族が来ると、我々は非道なことをしているように思われて悪しざまに言われる。(というか、うちは田舎の病院なので面会時間外でも関係なしに患者家族が面会に来てしまう) 

ここまでしても痰が引けない、酸素飽和度が上がらないという人には気管支鏡を突っ込んで痰を吸引してくることになる。気管支鏡はそれなりに太いため、届く範囲もしれているので、理学療法士さんに泣きついて肺の奥から痰が出てくるように体位ドレナージをしてもらったり、RTXという怪しいマシンなどを駆使して排痰を試みるが引けないものは引けない。

「気管切開はどうですか」と患者さんの家族に言われたこともあるが、吸痰という作業がいくらか楽にはなるが、気管に穴をあけたからといって、溢れ出てくる痰の量が減るわけでもないので根本的には大した意味は無い。

そもそも痰の原料は体の水分なのだから、体液量を減らしてしまえという理屈もある。補液を絞って利尿をかければたしかに水分は減るので痰は減るが、血圧が下がったり血栓・塞栓が出来たりするので、もはや治療とはいいがたい状態になってくる。そもそも高齢者で心臓がへたって心不全となると、切れるカードもほとんどない。循環器内科に相談しても、「寿命ですよねえ」とつれない返事がかえってくる。

 こうなってくるともうお手上げである。痰で窒息死することが避けられませんよ、という厳しい話を家族にする。 酸素化が悪くなると、家族の希望でNPPVをつけたりする。適応という意味では微妙だが、心不全の治療ということで保険を通す。これで呼吸はいくらか楽になるが、平たく言うと圧力をかけて酸素ガスを肺に押し込む機械なので、痰がどんどん肺に詰まっていく。やがて痰が詰まって換気ができなくなり、天に帰ることになる。

痰が多い高齢者が病院から出されたらどうなるか。研修を受ければ介護士でも吸痰ができるようになったとはいえ、まだレアな存在だし、なかなか受け入れてくれる施設も多くない。そうした施設は当然コストが高く、家族の負担も厳しい。家に連れて帰ったら、24時間の吸痰を覚悟しなければならない。痰が詰まって死んだら異状死で警察を呼ばれるかもしれないなど悩みは尽きない。まあ警察がらみは在宅診療の先生がうまいこと処理してくれることが多いので、あまり心配しなくてよいのだが、気苦労としてはたいへんわかる。

退院した後を見越してやむなく早めに枯らしたいと思ったら、入院中に、①水分制限を医者に頼んで循環不全を期待、②NPPV装着で痰づまりによる窒息を促す、といった展開があるのかもしれない。 

2015年6月13日土曜日

痰を押し込むと早死に

一般の方とかガチの医療職でない方を対象に想定しているので、ぼくの経験論ばかりのこのブログだが、たまにはアカデミックな論文も読んでみよう。

 NEJM 372;23 June 4, 2015 
http://www.nejm.org/doi/pdf/10.1056/NEJMoa1503326 High-Flow Oxygen through Nasal Cannula in Acute Hypoxemic Respiratory Failure 

挿管しての人工呼吸管理と、鼻から高流量の酸素を流した場合の両者をガチンコ比較。

 Whether noninvasive ventilation should be administered in patients with acute hypoxemic respiratory failure is debated. Therapy with high-flow oxygen through a nasal cannula may offer an alternative in patients with hypoxemia.

先のエントリーでもら書いたNPPVと、鼻から大量の酸素を流すマシンNHFとの比較。

METHODS 
We performed a multicenter, open-label trial in which we randomly assigned patients without hypercapnia who had acute hypoxemic respiratory failure and a ratio of the partial pressure of arterial oxygen to the fraction of inspired oxygen of 300 mm Hg or less to high-flow oxygen therapy, standard oxygen therapy delivered through a face mask, or noninvasive positive-pressure ventilation. The primary outcome was the proportion of patients intubated at day 28; secondary outcomes included all-cause mortality in the intensive care unit and at 90 days and the number of ventilator-free days at day 28. 

シビアな呼吸不全の患者をふりわけて、NPPVかNHFか、はたまた普通の酸素投与ではどうかを比べたというもの。

RESULTS 
A total of 310 patients were included in the analyses. The intubation rate (primary outcome) was 38% (40 of 106 patients) in the high-flow–oxygen group, 47% (44 of 94) in the standard group, and 50% (55 of 110) in the noninvasive-ventilation group (P=0.18 for all comparisons). The number of ventilator-free days at day 28 was significantly higher in the high-flow–oxygen group (24±8 days, vs. 22±10 in the standard-oxygen group and 19±12 in the noninvasive-ventilation group; P=0.02 for all comparisons). The hazard ratio for death at 90 days was 2.01 (95% confidence interval [CI], 1.01 to 3.99) with standard oxygen versus high-flow oxygen (P=0.046) and 2.50 (95% CI, 1.31 to 4.78) with noninvasive ventilation versus high-flow oxygen (P=0.006).

挿管せざるをえなくなったのが、NHFで38%、対照群で47%、NPPVで50%。28病日で人工呼吸器がいらなくなった割合は、NHFで有意に高かった。

CONCLUSIONS 
In patients with nonhypercapnic acute hypoxemic respiratory failure, treatment with high-flow oxygen, standard oxygen, or noninvasive ventilation did not result in significantly different intubation rates. There was a significant difference in favor of high-flow oxygen in 90-day mortality. (Funded by the Programme Hospitalier de Recherche Clinique Interrégional 2010 of the French Ministry of Health; FLORALI ClinicalTrials.gov number, NCT01320384.)

1型呼吸不全では、NPPV、NHF、普通の酸素投与で挿管になってしまった割合は差がなかった。が、90日後の死亡率には有意な差があった。

グラフが示されているけれど、加圧して酸素を押し込む呼吸補助は予後を良くしないという。この商売をやってるぼくらには軽く衝撃であった。圧をかけることで痰を気管支の奥深くに押し込むためというのも一因ではなかろうか。

2015年5月31日日曜日

「先生!パターン青、使徒です!!」

知らない人もいない新世紀エヴァンゲリオン。作中に出てくる人類に綾なす生物が「使徒」である。どこからともなく襲来し、総力あげた戦いとなるのは、病院における救急患者とも相似形である。

とりわけ、病院にやってくる高齢者に置き換えてみた。書きかけなので思いついたら加筆する。なお、http://matome.naver.jp/odai/2135348807467922301 を参考にさせていただいた。


第1使徒 アダム

自宅で発見され、せん妄インパクトを引き起こしたとされる恍惚の老人。通称「おじいちゃん」。同居の家族はいるが、鍵をかけられて日中は独居となっていた。老人宅に派遣された訪問看護師により意識レベル低下状態で発見され、その調査中に覚醒、そして光り輝くし尿を撒き散らすとともに、幻覚妄想と興奮の大爆発を起こし救急搬送。ちなみに、ハロペリドールの槍を用いることで、アダムを睡眠状態に還元しようとする過程で生じるのが錐体外路症状。Parkinson病では禁忌。

第2使徒 リリス

名前の由来は、アダムの最初の妻であるとされる「リリス」から。アダムとは異なる「生命の源」であり、アダム系を除く娘・息子・孫の始祖であり、その最終形態としてひ孫(=第18使徒リリン)を生み出した存在。通称「ひいばあちゃん」ともいう。
ひとたび救急搬送されれば、家族が大量に押し寄せ、救急外来の診察室はところ狭しと家族がひしめき合う。危篤状態で救命不能という状態を説明しても、DNAR(蘇生不要)という意思決定までには時間を要する。田舎である場合には、本家や分家、遠縁の親戚まで電話やメール、ラインで確認して決裁を求める光景がみられる。

第3使徒 サキエル

名前の由来はユダヤ・キリスト教伝承の「酒」を司る天使・木曜日の守護天使「サケエル」から。長年の大量飲酒と歯磨きをせずに床につく習慣から、誤嚥性肺炎にさいなまれている。誤嚥の威力はかなり強力なもので、梨状窩の特殊装甲をあっさり突破し、喉頭蓋に格納された声門を通過して、右肺下葉まで到達している。肺膿瘍を呈していることもしばしばである。

第4使徒 シャムシエル

名前の由来はユダヤ・キリスト教伝承の「昼」を司る天使「シャムシエル」から。昼夜逆転で不穏が著しいため、つなぎ服を着せられて筒状となった身体に、両手にミトンを持つ。イカに近い形をしており、夕食後から消灯前後から出現する。最後は深夜勤看護師のプログレッシヴ・拘束具での直接攻撃によって自由を奪われ、活動を停止。

第16使徒 アルミサエル

名前の由来はユダヤ・キリスト教伝承の「子宮」を司る天使「アルミサエル」から。

光るDNAのような、二重らせんの円環構造(プラスミド)が媒介するメタロβラクタマーゼを持つ。対象物を侵食し、融合して耐性を広げる習性を持つ。迎撃に出たカルバペネム、フルオロキノロンは侵食され、排除された。最終手段として宿主が死亡するまで隔離され、駆逐された。


2015年5月29日金曜日

海外の安楽死本

Dr Philip NitschkeとDr Fiona Stewartが書いた、"Killing Me Softly"という本を斜め読みしてみた。 このNitschke医師は豪州の人。安楽死の専門家として、数々の死にたい患者さんの自殺幇助をしてきた経歴から、当局から医師免許を停止されたそうだ。

彼がこの本でおすすめしているのが、ペントバルビタールの錠剤の内服だ。自殺に使われまくったために発売禁止になったので、はるばるメキシコまでいって調達してきた話なども書かれている。日本では、ラボナという似たような成分の内服薬があるが、似て非なるもので、大量に内服して死ねるものではないし、今どきの医者がこんなヤバい薬をおいそれと処方することはない。一般人が手に入れることも難しそうだ。

ちなみに女子高生あたりが睡眠薬を大量に飲んで救急搬送されてくることはたまにある。嫌がらせとかこらしめる目的で、鼻から太い管を突っ込んで、胃洗浄などをやる施設も未だにあるようだが、マイスリーとかを何十錠か飲んだくらいでは、ゲロ吐いて窒息でもしない限り、基本的に死ぬことはない。

Dr. Nitschkeが書いた本は、豪州の禁書目録に載ってしまい、発禁になっている。しかしwebでは入手できる。http://peacefulpillhandbook.com/

ここから辿って行くと、ヘリウムを吸って瞬間的に昏倒してそのまま死ねる装置、とかがある。
ヘリウムといえば、どこかのアイドルがバラエティの収録で吸って意識障害が出たアレである。酸素が含まれない気体を一気に吸えば、脳や心筋への酸素供給が絶たれるのはちょっと考えればわかるかと思う。

ほかには、急死したら犯罪が疑われて司法解剖されてしまうので、証拠が残らないように、地球上なら空気中にどこにでもある窒素を吸って死ぬ装置、とかも並んでいる。安楽死を看破するために、豪州政府では新たな検査法を開発したそうだが。

Dr.Nitschkeが、当局から「お前は本当に医者なのか」といわれるのはわかるのだが、彼が「じゃあ、苦しむ患者をいたずらに生かしているのも倫理的にどうなのよ」と思ったとして、こういう安楽死をサポートする活動に手を出している気持ちもわからなくはない。

「尊厳死」の6パターン

2015年5月28日に、日本病院会が-「尊厳死」-人のやすらかな自然の死についての考察―を発表した。

いつまで経っても国会が尊厳死法を制定できずにいることを苦々しく思ったようで、現場で困っている臨床医や患者さん、家族に対しての一助になればということらしい。ありがたいと思うが、これに準拠したからといって、別に司直の手から逃れられるわけでもないと思うが、偉い人達が集まってこうしたペーパーが世の中に出されているのなら警察・検察も少しは考えてくれるかもしれない。

内容を見てみよう。

・ 延命について以下の例のような場合、現在の医療では根治できないと医療チームが判断したときは、患者に苦痛を与えない最善の選択を家族あるいは関係者に説明し、提案する。
ア)高齢で寝たきりで認知症が進み、周囲と意志の疎通がとれないとき
イ)高齢で自力で経口摂取が不能になったとき
ウ)胃瘻造設されたが経口摂取への回復もなく意思の疎通がとれないとき
エ)高齢で誤飲に伴う肺炎で意識もなく回復が難しいとき
オ)癌末期で生命延長を望める有効な治療法がないと判断されるとき
カ)脳血管障害で意識の回復が望めないとき

まあ、これらはどうみても寿命といえるのではないか。理解も得やすいはずだ。病院に来れば無限の生命を得るかのように考えて、我々に無理難題を言ってくる家族もいる。そうなると、あまり話したくはないけれど、「野生動物の世界ではメシが食えなくなったり、立って歩けなくなったら生命として終わりですよ」という話をする。ただ「アフリカのサバンナと病院を一緒にするな」とか怒られたことはまだない。逆に「大声を上げてる人(注:認知症)とかもいるし、たしかに病院って動物園みたいなものですかね」と納得されたりもする。

月末なのでレセプトをチェックしていたのだが、誤嚥性肺炎の患者が8万点ぐらいになっていた。実に月80万円。ベッドに寝たきりで、意思疎通も図れず、日に3度、胃ろうから栄養剤を注入されるだけの高齢者。介護施設から救急搬送で来て、治療して良くなったもののMAXでここまでしか回復はしなかった。転院先を調整しているが、なかなか行き場もないので在院日数が長引いてこうした顛末になっているわけだが、健康保険の保険料をどれだけ上げてもこうした人たちの医療費までめんどうみていたらカバーできそうにない。ちなみに自己負担は44400円だそうだ。差額の75万は若い人たちが払うのだ。国保だから介護保険と通算して年末にはキャッシュバックがあるとも聞く。

こうした人達が「家族の希望」でいたずらに延命処置を求められる背景には、年金があると思う。家族が面会に来ない高齢者は結構多いと感じる。死んでしまえば年金がストップされるので、病院や施設に放り込んでひたすらに延命処置を求められる。直接会いに来るわけでもなく、電話で言われる。面談しようと連絡してもワン切りされたり、着拒されるのもしばしばだ。

上記のように、自己負担があるといっても年金が入ればプラスなのだから、ゴネてなるべく長く入院させ、楽して年金をもらってしまえ、という腹の内なのか。それなら入院したら年金を一時的にストップしたらどうなのだろう。全国的に巨額の医療費が節約できそうだ。じゃあ介護施設に流れるだけだというのなら、施設に入っている間も年金を止めたらどうだろう。プロの介護が必要なら、年金から天引きで。

さて、先のア~カの6種類に該当しても直ちに医療が打ち切られるわけではない。生きてさえいれば、急性期病院→慢性期病院→老健→特養→在宅→・・・など、段落とし的にいろんな施設を通過することになって、医療費や介護費用がかかる。が、「そこにも雇用が生まれるから、高齢者は長生きしていればいいのだ」と偉そうにいう気にはなれない。自分の給与明細をみたら、年金・健康保険・介護保険・税金で半分も持っていかれていた。五公五民で江戸時代と同じではないか(我々世代が多分もらえない年金など、税金と同じだとして)。これに子どもの教育費だの通勤で使う車の維持費だのを払ったらカツカツである。自分はもう若くもないけれど、若い人の血をすすって老人を生かすというのもそろそろ限界だと実感している。


 ・ 下記の事例はさらに難しい問題で、今回は議論されなかった。
ア)神経難病
イ)重症心身障害者 

ALSなどは団体が相当に手強いので、アンタッチャブルではある。患者さんが心身ともに苦悩されているのは本当に気の毒に思う。ただ、障害者のためというよりも関係者のためではないかと思うような活動もしばしばである。おっと、筆者もひどい目に遭ったことがあるので言を慎む。

霞ヶ関の厚労省ビルの前で炎天下でも障害者を車いすに乗せて並べ、マイクでがなってビラを撒いているような団体とかを見るとなんとも複雑である。



2015年5月19日火曜日

警察は病死が嫌い

ぶっちゃけた話、警察は病気で死んだ死体には興味が無いようだ。

持病をたくさん抱えた老人が家で死んでいたとしよう。家族が見つけて110番というパターンだと、通報を受けた警察官は「それってホントに事件?」とだいたい口をとがらせる。 しぶしぶ警察が出張って聴きこみをし、「うちの爺ちゃん、だいぶ前に脳梗塞をやりました、糖尿病にコレステロールに高血圧、前立腺肥大。胃がんで手術も受けてたわね。」といった話が出てきたら、かかりつけの医者が呼ばれて、「病死ってことで」と死体検案書を書かせておしまい、という話はわりとよくあるようだ。

 「刺し」「首絞め」「撲殺」など、外見に明らかな異常(業界用語では異状)がある死体だと、警察官の見た目にもわかりやすい。そうした捜査情報は一般人が決して触れられないし、仲間内での秘密を共有している優越感や一体感もあるのだろう。狭い世界で部活のノリである。しかし、病死だと医学用語が出てくるし、死に至ったメカニズムなどを医者から説明をうけなければならない。

犯罪捜査のエリートたる刑事として、医者ごときに頭を下げて説明してもらうというのは、プライドが許さないようだ。必要な説明をわかりやすくすることはぼくらの仕事の範疇なのだし、あちらの意識過剰と思うのだけれど。

 余談をひとつ。最近、当直明けにボーっとしていて、ぼくは不覚にも踏切の一時不停止をやってしまった。止められた時に交通警官に職業をきかれたので「◯◯病院の職員です」と答えたら、「あんた医者でしょ!」と見破られて怒鳴られ、「・・はい」と言ったら、青切符に「◯◯病院(医師)」と大きく書かれた。

医者かどうかなんてどうでもいいようだが、医者は警察の敵なのだそうだ。これまでにいくつかの県の病院で働いたけれど、どこでも似たような経験をナースや技師さん方もしているそうで、どうやら警察官は医者にかぎらず医療関係者が嫌いなようだ。ぼくらも外来に警察官が受診するとビビるんだけれども。

2015年5月16日土曜日

われら「長寿の刑」執行人

ある日の外来

「何回言わせるんですか。だから、うちの爺さんを死なせてやってほしいんですって!」

診察室で甲高い大声で吠える男性。眼光鋭く僕を見据えている。くたびれ果てている風貌からは、
還暦ぐらいの哀愁が漂うが、もっと若そうにも見える。

「こちらも何度も申し上げていますが、それは病院にいう話じゃないです。病院に連れてきたら、たとえ嫌でも助けられちゃうんですよ、自動的に。僕らの仕事ですから。そりゃあ僕らも本当にそうするべきなのかわからない人もいますよ。でも、死なせる権限は僕らにはない」

「だったらこのジジイの道連れになって、僕も死ねっていうんですか!カネもかかるし、自分も仕事辞めたから収入ないし、嫁にも逃げられたんだよ」

すごい剣幕で怒鳴る男性。丁寧な言葉づかいはなりを潜め、生の感情をぶつけている。

「いや、そういうわけでは・・・」

「だったら早く殺せ、殺せよ!早く!!」

僕を呼んだ救命救急センターのスタッフは、申し訳無さそうに下を向いていた。


Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。体育教師だったが、退職後に認知症が進んで意思疎通がまったく図れなくなった。もともと柔道で国体にも行った人で、教え子にも恐れられるほど厳しい人だった。生徒指導では床に霜の降りた冷たい柔道場に、暖房も入れずに何時間も正座させて足を凍傷にさせたり、炎天下でグラウンドを何周もさせて、熱中症で救急搬送させるような人であった。それも教育のためと信じていた。

認知症が進んで、人を人とも思わない暴言を昼夜問わずに放つようになった。散歩に出せば大声で下品なことを叫び、ズボンをおろして歩くので、警察に再三注意された。立って歩けてしまうので、要介護認定は施設に入れるほどの判定にはならなかった。ようやく見つけたデイサービスやショートステイでも二度と来ないでほしいと言われた。

しかたなく、自宅で世話をすることになった。日に3度の食事から入浴、家中に垂れ流すシモの世話、外出して店で万引きした際のお詫びと弁償、徘徊した時の捜索や町内会へのお詫びなど、奥さんが献身的にお世話をしていた。過労がたたって老々介護のさなかに奥さんが亡くなった。

それから悲劇が深刻化した。もともと鍛えていた体から繰り出されるパンチやキックで、骨折したりケガをしたヘルパーさんが後を絶たず、長期間待ってようやく入れた介護施設からは早々に追い出された。介護施設の間でもブラックリストがあるようで、あっという間に噂が広まり、預かってくれる施設もなくなった。ショートステイやデイケアでも他の利用者が逃げるから、といって断られた。

体調不良を頻繁に訴えるようになり、その都度息子さんが有休を使いながら、家で世話をしていたが、勤務先の会社から退職を勧められた。行き場がなくなったAさんは、自宅で暮らすことになった。そんな中、食事を豪快に嘔吐してつまらせ、発熱と意識障害をきたして救急車で搬送されてきた。

※このケースは特定の個人が同定されないように、一部脚色しています。

望まれない長寿

安定した生活が保証されていた会社をやめてまで、老親を家で介護していた息子さん。キャリアを捨て、所得を捨て、妻子に逃げられてまで介護しなければならない老人とは一体なにか。親というものは子供が不幸になってまで生きていなければならないのか。子供は親にとことん奉仕しなければならないのか。

病院で働いていて悲惨な人生に遭遇すると、そんなことすら頭をもたげる。

この話のように、「認知症になった身内の介護に困り果てている。糞便を垂れ流し、目を離せば家の外に徘徊し、大声を上げ続け、近所に奇異な目で見られる。こんないつ終わるともわからない介護地獄で疲れ果ててしまった。なにをしでかして呼び出されるかわからないので、フルタイムの仕事と両立は無理なので泣く泣く仕事をやめた。介護の費用もかかるし、収入も絶たれてしまったし、貯金も底をついた。できるだけ消えてもらいたい。首絞めて殺す訳にはいかない。病死とか自然死に見せかけて死なせることはできないのか」といった切実で悲痛な声をよく耳にする。

病院に救急車で運ばれてきたら、なにもしないで死なせる訳にはいかないので、あらゆる努力が払われてしまう。医療費の無駄だと言われることもあるが、それは僕らに言われても困る。

長寿の刑

認知症の人を抱える家族からすれば、医療従事者は時として余計なことをしているように受け止めると思う。僕らも散々なことを言われるが、それはある意味仕方がないことだと割り切っている。

そんな中でも、自分がかなり堪えた言葉がある。
「先生がたは老人を長らえさせれば給料になるんだろうけど、うちらにとっては地獄だ。(中略)お前らは『長寿の刑』の執行人だ!」

患者さんや家族が元気になるとか、生活が楽しくなるとか、そういった喜びのために医療をやっているつもりでいたが、バットで頭をぶん殴られた気がした。自分たちは、家族の人たちを追い詰めているのだ。かといって、具合が悪くなった高齢者に医療を受けさせないと、家族も保護責任者遺棄致死罪にでも問われるのだろう。医療を受けさせたら、命が助かっても施設をぐるぐるたらい回しにされる。袋小路だ。

法律の隙間を縫って、自然に「枯らし」てあげる医療をどうやったら実践できるのか。このブログはそうした問題提起でもある。

2015年5月15日金曜日

ソリューション求む

毎日、患者さんの家族から相談されることを凝縮するとこういった感じだ。 ---- 救急車で搬送された。重症患者なので挿管やら人工呼吸管理などがされて、しばらく寝かされていた。リハビリしても多くは望めない、ADLが著明に落ちて、メシが食えなくなると医者に言われた。自分で食事が摂れないと介護施設には入れないので、代替栄養を導入して転院になる。

入院させているとカネがかかる。長期入院になればなるほど大変だ。高齢者では医療費負担だけでなく、介護用オムツやらパジャマ代、個室代・差額ベッド代など、あの手この手で病院からカネを請求される。介護施設でも同じような構図がある。高齢者の手元に入ってくる年金だけで、こうした費用をすべてカバーできるほど豊かじゃないので、われわれ家族が爪に火を点して稼いだカネで足りない分を補填することになる。

そうなると、金の切れ目が縁の切れ目だ。話もできず、自分で食事も摂らずただ寝ているだけの高齢者に、必死に働いた稼ぎをどうして毎月数十万円も投じなければならないのか。「老人の介護にはゴールが見えないが、いつまでもカネが持たない。寝たきり老人が家にいたら働けない。仕事辞めて介護するのか・・」と憤懣やるかたない。

自分の子どもなら苦労して子育てしたぶん、自分の老後の面倒を見てくれるかもしれないが、高齢者の世話をしても自分の将来は保障してくれない。仕事を辞めて介護したら、それこそお先真っ暗である。幸か不幸か、病院にいる限りはそれなりの質のケアがなされてしまうので、いつまでも安定した状態が続いてしまい、出費が止むことはない。

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こんな話ばかり聞かされていると、急性期病院で提供する医療には年齢制限を設けてもいいのかもしれないと思う。

2015年4月30日木曜日

「枯らす技術」ブログの本を出します

ブログの内容を大幅加筆して本を出すことになりました。
kindleで出します。ぜひご覧いただければ幸いです。

冒頭をちょっと紹介。


ドクターキリコによろしく(仮題)

はじめに

京都の安井金比羅宮(http://www.yasui-konpiragu.or.jp/)は、悪縁を絶ち、良縁を結ぶ神社だ。愛憎に満ちた絵馬がたくさん納められている。認知症で家族を長年泣かせてきた老人、不倫がこじれて相手から消えてほしいと呪いをかけられた人、ギャンブルがやめられず借金を重ねて妻や子供を不幸に陥れた人など、今すぐ死んでほしいと言われる人がこんなにいるのかと、複雑な気持ちになる神社だ。

そうはいっても、憎い相手の首を絞めたり、出刃包丁で刺したりということは普通できない。日本の警察は優秀だから逃げられないので、相手に復讐すると同時に自分の人生も終わってしまう。どんなに憎くて今すぐ殺してやりたいほどの相手でも、ぎりぎりのところで理性が働くから神頼みになるのだろう。

ところが、証拠が残らないならどうだろう。理性のタガが外れてしまわないとも限らない。今の日本では、人を殺してもほぼバレないシチュエーションがある。かなりの数の完全犯罪が行われているとぼくはみている。どこだろうか。山奥に穴を掘って埋めるとか、オウム真理教のように電磁波で遺体を焼いて灰にする、という話ではない。共犯者もいらず、スコップや大掛かりな設備もいらない。それは医療に紛れて人を死なせることだ。

入院中の病室で普通にあるものを使えば、急変とか病気の自然経過に見せかけて患者を死なせることができてしまう。入院中だけでない。持病があってクリニックとかから薬を処方されているような人も、持病で死んだように見せることができる。怪しければ警察が出動するが、違和感のない病死を演出できれば、警察とくにその中でも死体を扱うプロである検視官の目も欺けてしまうのだ。検視官ですら犯罪かどうかを見抜けないような死体は、そのまま荼毘に付されて証拠も残らない。犯人の高笑いが聞こえてくる。

治安がよい日本もどんどん物騒になってきた。近所の住人が突然ナイフを持って襲ってきたり、保育園のお迎えに行ったら「幸せそうでムカつく」などと車が突っ込んでくるような時代だ。なにも悪いことをした覚えがなくても、勝手に恨まれていることもあるかもしれない。昔から「キ●●イに刃物」というけれど、悪意に満ちた人たちに病院の設備や医薬品が悪用されれば大変だ。しっぽを残さずに殺されてしまうこともあるのだから。そして犯人以外には気づかれることもなく、「持病のせいで死んだのね」「若いのに気の毒にね」などと、殺された後でどれだけ惜しまれてもどうしようもない。

この本では、医療にまぎれた「医療犯罪」で殺されないようにするための知識を提供したい。リアリティを持って読んでもらいたいし、身を守るうえでの知識として、くわしい描写も入っている。かといって読者の皆さんが、こうした知識を悪用してゆめゆめ誰かを殺害しないことを信じている。

「歩み入る者に安らぎを、去りゆく者には幸せを」。病院=ホスピタルが、語源が同じホテルと同様、こうした場であり続けるように願ってやまない。

2015年初夏 mhlworz

2015年4月18日土曜日

急変と見せかけて2

仕事が慌ただしくて、気がついたら1年以上もブログを更新していなかった。
ほったらかしでも、意外と多くの方が読んでくださっているので、とてもありがたい。

ブログでたくさんの方の目に留まる形では、ちょっと書けない話が出てきた。
そして、そうした相談をクローズな形で行える場があればいいのかなとも思うようになった。

何かというと、警察に相談してもお手上げになるような、証拠が残らない高齢者殺しだ。
正確にいうならば、殺しかもしれないが、証拠が残っていないためどうしようもないケース。

すでに過去のエントリー http://mhlworz.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html で述べているけれど、問題意識はこんなことだ。

「具合が悪くて入院している高齢者と、病室で付き添っている家族との人間関係によっては、『早く死んでほしい』として、家族が手を下してしまうような恐ろしいことも起こりうる。しかもそれが巧妙にやられてしまえば、ぼくら医療従事者も気がつかない。警察に相談しても、困ってしまうようなケースを予防したい。そのためのカンファレンスをネットでできればいいなあ」

こんなことを書くと、さっそく警察からロックオンされそうだし、リーガルリスクも高い。
医師免許を召し上げられては、ぼくもご飯が食べられなくなるので非常に困る。

もちろん、別に中東で悪行の限りを尽くしているなんとか国みたいに、ぼくらが高齢者を大量に殺戮しようなんて話では決してない。安心して医療を提供できるように、病院内のぼくらのあずかり知らないところで人殺しが行われないよう、リスクの芽を摘み取っておきたいだけだ。

その手口などをぼかしつつ、ぼくの知人の弁護士(医師、医学博士、某科専門医)なども交えて、メーリングリストなどで、反省点などを議論したいと思う。純粋に医学的+法学的見地からの議論をしたいと思っていて、その結果を警察に通報することは今のところは考えていない。

経験した怪しい事例などがあれば、 mhlworz@gmail.com でお送りいただきたい。
ある程度の人数が集まったら、メーリングリストなどを立ち上げたいと思っています。