2015年5月31日日曜日

「先生!パターン青、使徒です!!」

知らない人もいない新世紀エヴァンゲリオン。作中に出てくる人類に綾なす生物が「使徒」である。どこからともなく襲来し、総力あげた戦いとなるのは、病院における救急患者とも相似形である。

とりわけ、病院にやってくる高齢者に置き換えてみた。書きかけなので思いついたら加筆する。なお、http://matome.naver.jp/odai/2135348807467922301 を参考にさせていただいた。


第1使徒 アダム

自宅で発見され、せん妄インパクトを引き起こしたとされる恍惚の老人。通称「おじいちゃん」。同居の家族はいるが、鍵をかけられて日中は独居となっていた。老人宅に派遣された訪問看護師により意識レベル低下状態で発見され、その調査中に覚醒、そして光り輝くし尿を撒き散らすとともに、幻覚妄想と興奮の大爆発を起こし救急搬送。ちなみに、ハロペリドールの槍を用いることで、アダムを睡眠状態に還元しようとする過程で生じるのが錐体外路症状。Parkinson病では禁忌。

第2使徒 リリス

名前の由来は、アダムの最初の妻であるとされる「リリス」から。アダムとは異なる「生命の源」であり、アダム系を除く娘・息子・孫の始祖であり、その最終形態としてひ孫(=第18使徒リリン)を生み出した存在。通称「ひいばあちゃん」ともいう。
ひとたび救急搬送されれば、家族が大量に押し寄せ、救急外来の診察室はところ狭しと家族がひしめき合う。危篤状態で救命不能という状態を説明しても、DNAR(蘇生不要)という意思決定までには時間を要する。田舎である場合には、本家や分家、遠縁の親戚まで電話やメール、ラインで確認して決裁を求める光景がみられる。

第3使徒 サキエル

名前の由来はユダヤ・キリスト教伝承の「酒」を司る天使・木曜日の守護天使「サケエル」から。長年の大量飲酒と歯磨きをせずに床につく習慣から、誤嚥性肺炎にさいなまれている。誤嚥の威力はかなり強力なもので、梨状窩の特殊装甲をあっさり突破し、喉頭蓋に格納された声門を通過して、右下肺葉まで到達している。肺膿瘍を呈していることもしばしばである。

第4使徒 シャムシエル

名前の由来はユダヤ・キリスト教伝承の「昼」を司る天使「シャムシエル」から。昼夜逆転で不穏が著しいため、つなぎ服を着せられて筒状となった身体に、両手にミトンを持つ。イカに近い形をしており、夕食後から消灯前後から出現する。最後は深夜勤看護師のプログレッシヴ・拘束具での直接攻撃によって自由を奪われ、活動を停止。

第16使徒 アルミサエル

名前の由来はユダヤ・キリスト教伝承の「子宮」を司る天使「アルミサエル」から。

光るDNAのような、二重らせんの円環構造(プラスミド)が媒介するメタロβラクタマーゼを持つ。対象物を侵食し、融合して耐性を広げる習性を持つ。迎撃に出たカルバペネム、フロオロキノロンは侵食され、排除された。最終手段として宿主が死亡するまで隔離され、駆逐された。

2015年5月29日金曜日

海外の安楽死本

Dr Philip NitschkeとDr Fiona Stewartが書いた、"Killing Me Softly"という本を斜め読みしてみた。 このNitschke医師は豪州の人。安楽死の専門家として、数々の死にたい患者さんの自殺幇助をしてきた経歴から、当局から医師免許を停止されたそうだ。

彼がこの本でおすすめしているのが、ペントバルビタールの錠剤の内服だ。自殺に使われまくったために発売禁止になったので、はるばるメキシコまでいって調達してきた話なども書かれている。日本では、ラボナという似たような成分の内服薬があるが、似て非なるもので、大量に内服して死ねるものではないし、今どきの医者がこんなヤバい薬をおいそれと処方することはない。一般人が手に入れることも難しそうだ。

ちなみに女子高生あたりが睡眠薬を大量に飲んで救急搬送されてくることはたまにある。嫌がらせとかこらしめる目的で、鼻から太い管を突っ込んで、胃洗浄などをやる施設も未だにあるようだが、マイスリーとかを何十錠か飲んだくらいでは、ゲロ吐いて窒息でもしない限り、基本的に死ぬことはない。

Dr. Nitschkeが書いた本は、豪州の禁書目録に載ってしまい、発禁になっている。しかしwebでは入手できる。http://peacefulpillhandbook.com/

ここから辿って行くと、ヘリウムを吸って瞬間的に昏倒してそのまま死ねる装置、とかがある。
ヘリウムといえば、どこかのアイドルがバラエティの収録で吸って意識障害が出たアレである。酸素が含まれない気体を一気に吸えば、脳や心筋への酸素供給が絶たれるのはちょっと考えればわかるかと思う。

ほかには、急死したら犯罪が疑われて司法解剖されてしまうので、証拠が残らないように、地球上なら空気中にどこにでもある窒素を吸って死ぬ装置、とかも並んでいる。安楽死を看破するために、豪州政府では新たな検査法を開発したそうだが。

Dr.Nitschkeが、当局から「お前は本当に医者なのか」といわれるのはわかるのだが、彼が「じゃあ、苦しむ患者をいたずらに生かしているのも倫理的にどうなのよ」と思ったとして、こういう安楽死をサポートする活動に手を出している気持ちもわからなくはない。

「尊厳死」の6パターン

2015年5月28日に、日本病院会が-「尊厳死」-人のやすらかな自然の死についての考察―を発表した。

いつまで経っても国会が尊厳死法を制定できずにいることを苦々しく思ったようで、現場で困っている臨床医や患者さん、家族に対しての一助になればということらしい。ありがたいと思うが、これに準拠したからといって、別に司直の手から逃れられるわけでもないと思うが、偉い人達が集まってこうしたペーパーが世の中に出されているのなら警察・検察も少しは考えてくれるかもしれない。

内容を見てみよう。

・ 延命について以下の例のような場合、現在の医療では根治できないと医療チームが判断したときは、患者に苦痛を与えない最善の選択を家族あるいは関係者に説明し、提案する。
ア)高齢で寝たきりで認知症が進み、周囲と意志の疎通がとれないとき
イ)高齢で自力で経口摂取が不能になったとき
ウ)胃瘻造設されたが経口摂取への回復もなく意思の疎通がとれないとき
エ)高齢で誤飲に伴う肺炎で意識もなく回復が難しいとき
オ)癌末期で生命延長を望める有効な治療法がないと判断されるとき
カ)脳血管障害で意識の回復が望めないとき

まあ、これらはどうみても寿命といえるのではないか。理解も得やすいはずだ。病院に来れば無限の生命を得るかのように考えて、我々に無理難題を言ってくる家族もいる。そうなると、あまり話したくはないけれど、「野生動物の世界ではメシが食えなくなったり、立って歩けなくなったら生命として終わりですよ」という話をする。ただ「アフリカのサバンナと病院を一緒にするな」とか怒られたことはまだない。逆に「大声を上げてる人(注:認知症)とかもいるし、たしかに病院って動物園みたいなものですかね」と納得されたりもする。

月末なのでレセプトをチェックしていたのだが、誤嚥性肺炎の患者が8万点ぐらいになっていた。実に月80万円。ベッドに寝たきりで、意思疎通も図れず、日に3度、胃ろうから栄養剤を注入されるだけの高齢者。介護施設から救急搬送で来て、治療して良くなったもののMAXでここまでしか回復はしなかった。転院先を調整しているが、なかなか行き場もないので在院日数が長引いてこうした顛末になっているわけだが、健康保険の保険料をどれだけ上げてもこうした人たちの医療費までめんどうみていたらカバーできそうにない。ちなみに自己負担は44400円だそうだ。差額の75万は若い人たちが払うのだ。国保だから介護保険と通算して年末にはキャッシュバックがあるとも聞く。

こうした人達が「家族の希望」でいたずらに延命処置を求められる背景には、年金があると思う。家族が面会に来ない高齢者は結構多いと感じる。死んでしまえば年金がストップされるので、病院や施設に放り込んでひたすらに延命処置を求められる。直接会いに来るわけでもなく、電話で言われる。面談しようと連絡してもワン切りされたり、着拒されるのもしばしばだ。

上記のように、自己負担があるといっても年金が入ればプラスなのだから、ゴネてなるべく長く入院させ、楽して年金をもらってしまえ、という腹の内なのか。それなら入院したら年金を一時的にストップしたらどうなのだろう。全国的に巨額の医療費が節約できそうだ。じゃあ介護施設に流れるだけだというのなら、施設に入っている間も年金を止めたらどうだろう。プロの介護が必要なら、年金から天引きで。

さて、先のア~カの6種類に該当しても直ちに医療が打ち切られるわけではない。生きてさえいれば、急性期病院→慢性期病院→老健→特養→在宅→・・・など、段落とし的にいろんな施設を通過することになって、医療費や介護費用がかかる。が、「そこにも雇用が生まれるから、高齢者は長生きしていればいいのだ」と偉そうにいう気にはなれない。自分の給与明細をみたら、年金・健康保険・介護保険・税金で半分も持っていかれていた。五公五民で江戸時代と同じではないか(我々世代が多分もらえない年金など、税金と同じだとして)。これに子どもの教育費だの通勤で使う車の維持費だのを払ったらカツカツである。自分はもう若くもないけれど、若い人の血をすすって老人を生かすというのもそろそろ限界だと実感している。


 ・ 下記の事例はさらに難しい問題で、今回は議論されなかった。
ア)神経難病
イ)重症心身障害者 

ALSなどは団体が相当に手強いので、アンタッチャブルではある。患者さんが心身ともに苦悩されているのは本当に気の毒に思う。ただ、障害者のためというよりも関係者のためではないかと思うような活動もしばしばである。おっと、筆者もひどい目に遭ったことがあるので言を慎む。

霞ヶ関の厚労省ビルの前で炎天下でも障害者を車いすに乗せて並べ、マイクでがなってビラを撒いているような団体とかを見るとなんとも複雑である。



2015年5月19日火曜日

警察は病死が嫌い

ぶっちゃけた話、警察は病気で死んだ死体には興味が無いようだ。

持病をたくさん抱えた老人が家で死んでいたとしよう。家族が見つけて110番というパターンだと、通報を受けた警察官は「それってホントに事件?」とだいたい口をとがらせる。 しぶしぶ警察が出張って聴きこみをし、「うちの爺ちゃん、だいぶ前に脳梗塞をやりました、糖尿病にコレステロールに高血圧、前立腺肥大。胃がんで手術も受けてたわね。」といった話が出てきたら、かかりつけの医者が呼ばれて、「病死ってことで」と死体検案書を書かせておしまい、という話はわりとよくあるようだ。

 「刺し」「首絞め」「撲殺」など、外見に明らかな異常(業界用語では異状)がある死体だと、警察官の見た目にもわかりやすい。そうした捜査情報は一般人が決して触れられないし、仲間内での秘密を共有している優越感や一体感もあるのだろう。狭い世界で部活のノリである。しかし、病死だと医学用語が出てくるし、死に至ったメカニズムなどを医者から説明をうけなければならない。

犯罪捜査のエリートたる刑事として、医者ごときに頭を下げて説明してもらうというのは、プライドが許さないようだ。必要な説明をわかりやすくすることはぼくらの仕事の範疇なのだし、あちらの意識過剰と思うのだけれど。

 余談をひとつ。最近、当直明けにボーっとしていて、ぼくは不覚にも踏切の一時不停止をやってしまった。止められた時に交通警官に職業をきかれたので「◯◯病院の職員です」と答えたら、「あんた医者でしょ!」と見破られて怒鳴られ、「・・はい」と言ったら、青切符に「◯◯病院(医師)」と大きく書かれた。

医者かどうかなんてどうでもいいようだが、医者は警察の敵なのだそうだ。これまでにいくつかの県の病院で働いたけれど、どこでも似たような経験をナースや技師さん方もしているそうで、どうやら警察官は医者にかぎらず医療関係者が嫌いなようだ。ぼくらも外来に警察官が受診するとビビるんだけれども。

2015年5月16日土曜日

われら「長寿の刑」執行人

ある日の外来

「何回言わせるんですか。だから、うちの爺さんを死なせてやってほしいんですって!」

診察室で甲高い大声で吠える男性。眼光鋭く僕を見据えている。くたびれ果てている風貌からは、
還暦ぐらいの哀愁が漂うが、もっと若そうにも見える。

「こちらも何度も申し上げていますが、それは病院にいう話じゃないです。病院に連れてきたら、たとえ嫌でも助けられちゃうんですよ、自動的に。僕らの仕事ですから。そりゃあ僕らも本当にそうするべきなのかわからない人もいますよ。でも、死なせる権限は僕らにはない」

「だったらこのジジイの道連れになって、僕も死ねっていうんですか!カネもかかるし、自分も仕事辞めたから収入ないし、嫁にも逃げられたんだよ」

すごい剣幕で怒鳴る男性。丁寧な言葉づかいはなりを潜め、生の感情をぶつけている。

「いや、そういうわけでは・・・」

「だったら早く殺せ、殺せよ!早く!!」

僕を呼んだ救命救急センターのスタッフは、申し訳無さそうに下を向いていた。


Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。体育教師だったが、退職後に認知症が進んで意思疎通がまったく図れなくなった。もともと柔道で国体にも行った人で、教え子にも恐れられるほど厳しい人だった。生徒指導では床に霜の降りた冷たい柔道場に、暖房も入れずに何時間も正座させて足を凍傷にさせたり、炎天下でグラウンドを何周もさせて、熱中症で救急搬送させるような人であった。それも教育のためと信じていた。

認知症が進んで、人を人とも思わない暴言を昼夜問わずに放つようになった。散歩に出せば大声で下品なことを叫び、ズボンをおろして歩くので、警察に再三注意された。立って歩けてしまうので、要介護認定は施設に入れるほどの判定にはならなかった。ようやく見つけたデイサービスやショートステイでも二度と来ないでほしいと言われた。

しかたなく、自宅で世話をすることになった。日に3度の食事から入浴、家中に垂れ流すシモの世話、外出して店で万引きした際のお詫びと弁償、徘徊した時の捜索や町内会へのお詫びなど、奥さんが献身的にお世話をしていた。過労がたたって老々介護のさなかに奥さんが亡くなった。

それから悲劇が深刻化した。もともと鍛えていた体から繰り出されるパンチやキックで、骨折したりケガをしたヘルパーさんが後を絶たず、長期間待ってようやく入れた介護施設からは早々に追い出された。介護施設の間でもブラックリストがあるようで、あっという間に噂が広まり、預かってくれる施設もなくなった。ショートステイやデイケアでも他の利用者が逃げるから、といって断られた。

体調不良を頻繁に訴えるようになり、その都度息子さんが有休を使いながら、家で世話をしていたが、勤務先の会社から退職を勧められた。行き場がなくなったAさんは、自宅で暮らすことになった。そんな中、食事を豪快に嘔吐してつまらせ、発熱と意識障害をきたして救急車で搬送されてきた。

※このケースは特定の個人が同定されないように、一部脚色しています。

望まれない長寿

安定した生活が保証されていた会社をやめてまで、老親を家で介護していた息子さん。キャリアを捨て、所得を捨て、妻子に逃げられてまで介護しなければならない老人とは一体なにか。親というものは子供が不幸になってまで生きていなければならないのか。子供は親にとことん奉仕しなければならないのか。

病院で働いていて悲惨な人生に遭遇すると、そんなことすら頭をもたげる。

この話のように、「認知症になった身内の介護に困り果てている。糞便を垂れ流し、目を離せば家の外に徘徊し、大声を上げ続け、近所に奇異な目で見られる。こんないつ終わるともわからない介護地獄で疲れ果ててしまった。なにをしでかして呼び出されるかわからないので、フルタイムの仕事と両立は無理なので泣く泣く仕事をやめた。介護の費用もかかるし、収入も絶たれてしまったし、貯金も底をついた。できるだけ消えてもらいたい。首絞めて殺す訳にはいかない。病死とか自然死に見せかけて死なせることはできないのか」といった切実で悲痛な声をよく耳にする。

病院に救急車で運ばれてきたら、なにもしないで死なせる訳にはいかないので、あらゆる努力が払われてしまう。医療費の無駄だと言われることもあるが、それは僕らに言われても困る。

長寿の刑

認知症の人を抱える家族からすれば、医療従事者は時として余計なことをしているように受け止めると思う。僕らも散々なことを言われるが、それはある意味仕方がないことだと割り切っている。

そんな中でも、自分がかなり堪えた言葉がある。
「先生がたは老人を長らえさせれば給料になるんだろうけど、うちらにとっては地獄だ。(中略)お前らは『長寿の刑』の執行人だ!」

患者さんや家族が元気になるとか、生活が楽しくなるとか、そういった喜びのために医療をやっているつもりでいたが、バットで頭をぶん殴られた気がした。自分たちは、家族の人たちを追い詰めているのだ。かといって、具合が悪くなった高齢者に医療を受けさせないと、家族も保護責任者遺棄致死罪にでも問われるのだろう。医療を受けさせたら、命が助かっても施設をぐるぐるたらい回しにされる。袋小路だ。

法律の隙間を縫って、自然に「枯らし」てあげる医療をどうやったら実践できるのか。このブログはそうした問題提起でもある。

2015年5月15日金曜日

ソリューション求む

毎日、患者さんの家族から相談されることを凝縮するとこういった感じだ。 ---- 救急車で搬送された。重症患者なので挿管やら人工呼吸管理などがされて、しばらく寝かされていた。リハビリしても多くは望めない、ADLが著明に落ちて、メシが食えなくなると医者に言われた。自分で食事が摂れないと介護施設には入れないので、代替栄養を導入して転院になる。

入院させているとカネがかかる。長期入院になればなるほど大変だ。高齢者では医療費負担だけでなく、介護用オムツやらパジャマ代、個室代・差額ベッド代など、あの手この手で病院からカネを請求される。介護施設でも同じような構図がある。高齢者の手元に入ってくる年金だけで、こうした費用をすべてカバーできるほど豊かじゃないので、われわれ家族が爪に火を点して稼いだカネで足りない分を補填することになる。

そうなると、金の切れ目が縁の切れ目だ。話もできず、自分で食事も摂らずただ寝ているだけの高齢者に、必死に働いた稼ぎをどうして毎月数十万円も投じなければならないのか。「老人の介護にはゴールが見えないが、いつまでもカネが持たない。寝たきり老人が家にいたら働けない。仕事辞めて介護するのか・・」と憤懣やるかたない。

自分の子どもなら苦労して子育てしたぶん、自分の老後の面倒を見てくれるかもしれないが、高齢者の世話をしても自分の将来は保障してくれない。仕事を辞めて介護したら、それこそお先真っ暗である。幸か不幸か、病院にいる限りはそれなりの質のケアがなされてしまうので、いつまでも安定した状態が続いてしまい、出費が止むことはない。

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こんな話ばかり聞かされていると、急性期病院で提供する医療には年齢制限を設けてもいいのかもしれないと思う。