2017年5月5日金曜日

誤嚥性肺炎

日本呼吸器学会が出しているガイドラインがある。手元には最新の「成人肺炎診療ガイドライン2017」がないので、古いものからの引用だが、院内肺炎の危険因子として、次のようなものが挙げられている。

・誤嚥をきたしやすい状態: 脳血管障害、多量の鎮静剤投与、胸腹部の手術
・慢性呼吸器疾患: COPD、間質性肺炎、気管支喘息、びまん性汎細気管支炎、慢性気管支炎、気管支拡張症、肺結核、じん肺
・心不全、肺水腫
・糖尿病、腎不全、慢性肝疾患
・H2ブロッカー、制酸剤投与
・長期の抗菌薬投与
・65歳以上の高齢者
・悪性腫瘍

こうした条件を満たす老人は、病院にいるともかぎらない。つまりは「院内肺炎」というが、個人的には自宅で要介護状態の老人にもこうしたリスクを抱えた一団がいるわけだ。イメージがわかないと思うので、我々がよく救急で診るタイプの患者をお示ししよう。


● 89歳、男性。
脳梗塞後遺症で寝たきり。ADLは全介助。脳梗塞で倒れるまではタバコを欠かさない人だった。15歳から70年間×毎日40本ものタバコのせいで、COPD(いわゆる肺気腫)になった。頑固な性格で家族の忠告にも耳を貸さず、飲酒量も多く、アテに塩辛いものを好んで食べ、高血圧、糖尿病や肝硬変もある。不整脈(心房細動)もあり心不全である。難聴で意思疎通も難しい。

脳梗塞の後遺症で、飲み込むのに支障をきたしていた(嚥下障害)。ヘルパーが食事を口に運ぶと、飲み込むのに時間がべらぼうにがかかる上、むせていた。ここ最近はむせなくなった一方で、食事の量も減ってきた。38度台の発熱が続いているので、開業医を受診して抗菌薬が処方されたが、熱が下がらず食事の量も増えないとして、救急外来に紹介された。

採血では炎症反応が高値で、酸素化も悪い。レントゲン写真で両側の肺に浸潤影があり、胸部CTでも肺炎像がある。気管支に液体がたまっており、両側の背側に浸潤影が広がる。線維化も認める。昨日今日発症した誤嚥ではなく、だいぶ前から誤嚥を繰り返していると考えられた。

抗菌薬を投与したが発熱が続き、喀痰の量も多い状態が続いた。むせることもないぐらい嚥下反射が残っていない(不顕性誤嚥)状態で、痰の多さに比べて咳は出なかった。耳鼻科医の診察にもとづき、言語聴覚士による評価やリハビリを行なったが、唾液すら気管~気管支に流れ込む有り様で、食事再開は絶望と判断された。当然、形のある食物のみならず、水分すら飲み込めない。トロミをつけようが無理であった。

「口から食べると間違いなく誤嚥して、窒息するか重篤な肺炎になって人生を縮めることになる、いわば寿命である」と説明したが、「何も食べさせないのは忍びない」と家族がいきり勃ち、リハビリ目的での転院を強く求めてきた。新聞記事やブログの切り抜きを示し、「リハビリすればうちの爺ちゃんは必ず食べられるようになる!食べられないのはお前らの怠慢だ」と強くなじられた。家族が希望するような、リハビリを受け入れてくれる施設はなかった。家族も現実を次第に受け入れるようになった。

今後の対応について選択肢を提示した。
1)何も食べさせずに自然のままで人生を終える。
2)水分補給のみ行う
3)人工的に栄養を投与する

家族は当初、3)を選択した。もはや医療行為というよりは延命が目的となるので、栄養を投与するだけならば在宅復帰が前提でないと転院ができないこと、療養病床はどこもいっぱいで転院までには長期間の待機時間があり、急性期病院としての性質上、当院でその間ずっと置いておくことはできず、いったん家に帰っていただく必要があることなどを説明した。すると「家では面倒が見切れないから、絶対に家に寄せ付けないでほしい。施設や病院を転々とすればよい。水分補給のみでよい」と翻意した。

1日500ml程度の点滴をしていたが、低栄養が進行した。やがて血管から点滴が漏れるようになり、両腕、両手、両脚の静脈という静脈に代わるがわる点滴をした。低栄養で手足がむくみ、針が刺せる血管がなくなったため、静脈への点滴(いわゆる血管注射)を断念。水分のみならば皮膚に針を刺す皮下補液とした。皮膚の毛細血管から水分が吸収されるのだが、もとからある心不全なども相まって循環が悪くなり、入れた水分が皮膚にたまって腫れあがるようになった。これ以上の補液に状態を改善させる効果がないとして、点滴を打ち切った。食べられなくなってから約一ヶ月で死亡退院した。

急性期病院と呼ばれる病院でも、家族の理解が得られなければ強制的に退院させるわけにもいかない。しつこいと怒られようとも我々は同じような説明を続ける。生命体としての人間が寿命を迎えたことを理解していただくよう、こうした毎日が続く。

2017年4月30日日曜日

点滴エレジー

● お気軽に「点滴してください」という家族

老衰で食えなくなった老人に家族が望むことで、一番多いのが点滴だと思う。なぜかと問うと、「食べられないのは可哀想だから何かしてあげたい」という。家族の気持ちも分からなくはないが、自分はオススメしない。

なにより点滴はストレスだ。靴下を履いたまま布団に入った時の違和感といえばわかるだろうか。寝ている間に無意識で足でこすって脱いでしまう。老人でも同様に点滴を抜かれてしまうことが多い。管は血管に刺さっている部分以外は、テープやフィルムを貼って皮膚に留めているだけなので、体を動かせば当然抜ける。刺激のない入院生活でただでさえ前後不覚に陥っているのに、夜中に寝ぼけたような状態で、手や足に点滴が刺さっている事を意識もせずに動いたら、点滴の管を引っ掛けて針ごと抜けるのは当たり前。

抜けたら血が出て大変なのでは、とよく聞かれる。まあ、基本的には抜けた針穴にバンソウコウでも貼って何分か圧迫しておけば止まる。血が固まりにくくなる血液疾患などで、凝固因子や血小板がべらぼうに減っていたら大量出血するかもしれないが、そういう人は単なる老衰ではないので、しかるべき診療科の病棟に入院しているだろう。

よく血まみれになるのは、点滴の針が残ったまま、途中で点滴の管どうしの接続が外れているケースだ。点滴の針が入っているのは静脈だ。動脈に点滴することはないわけではないが、老衰の人で動脈に点滴をすることはない。静脈は動脈に比べて圧力が低いとはいえ、血が流れている血管なので血が出てくるのはあたりまえだ。

認知症の老人だと、点滴の管を引きちぎり、針は刺さったまま途中の管が外れ、それをプラプラとぶらさげて徘徊したりする。(引きちぎりと形容したが、正しくは点滴の管同士をつなぐコネクタ部分が外れる)。点滴の管(ラインという)が真っ赤に染まり、徘徊したあとにポタポタと赤い滴が床に連なっているのは、医療業界に身を置くものなら何度も目にする光景だ。ブンブン振り回せば、遠心力で脱水されて血があたり一面に飛びちる。そうでなくても、寝てる間に点滴を自分で外して、翌朝真っ赤になったシーツを発見されることもある。掃除が大変だなーとか思う前に、失血死のリスクが頭に浮かぶわけだが・・。

「点滴してほしい」という家族に応えると、下手すれば失血死で患者を死なせてしまう恐れがあるわけだ。

●血管がない
針を刺せる血管が無くなるという問題もある。老人に無理やり点滴すれば手足がむくむ。自分で飲み食いできなくなった老人は、心臓も悪いし腎機能も落ちている。補液した水分が尿として出ていかないので、点滴すればするほど余計な水分が体にたまる。余計な水は胸水や腹水として体の内部にたまることもあるが、手足に水が溜まりやすい。骨や筋肉に囲まれていないので空間に余裕があるためだ。

横道にそれるが、乳がんの術後にリンパ浮腫で手足がパンパンにはれあがった女性の苦悩を聞いたことがあるだろうか。リンパ管を流れて心臓に戻っていた水分が、手術でリンパ節をとったために行き先を失って手や足が腫れてしまう。水分で手足の重量がふえて、思うように動かせないという。

溜まった水分によって、ただでさえ薄い皮膚が延ばされるうえ、水びたしになっているのでテカテカになる。ぶよぶよになり、指で押せば指の形がしばらくキープされるほどだ。水ようかんと私は説明している。子供の頃に砂場で作った、ぴかぴかの泥だんごにも似ているかもしれない。
点滴する血管を探すために、駆血帯というゴム管などを使う。心臓に帰る血液の流れを止めることで、静脈がパンパンに膨れてくるので、そこをめがけて針を刺すという原理だ。

ところが、ブヨブヨの手足を縛ったところで、血管が浮き上がってくるわけはない。縛ったところから水が絞り出されて凹み、ゴムの痕が一筋つくだけだ。血管を締め上げる効果はない。ヤケクソになって水分でパンパンの手足に針を刺すと、水分が染み出してくるだけで血管に針が刺さることは望めない。


「食べられないのは寿命ってことですよ」

厳しい現実を家族には理解いただくのは難しい。「こんな有様ですが、点滴するんですか?本当にそれでいいんですか?」と説明して意向を聞くのだが、粘り腰の家族もいる。

「じゃあ、血管じゃないところに点滴できないんですか」

その方法もなくはない。皮下補液とか皮下点滴とかいわれるもので、血管ではなくて皮膚に針を刺すものだ。皮下組織といういわゆる皮下脂肪に針を刺す。血管にダイレクトに水分を入れることはできないが、皮下の毛細血管から水分をゆっくりと吸収することはできる。

一見良さそうだが、1日に500mlとか1ℓがせいぜいだ。また、糖分が入った点滴は皮下に炎症や痛みを起こすので普通は使わない。水分をほんのり点滴する程度だが、脱水症の緩和には使えるというわけだ。

ただ、老衰で自分で食事を食わなくなった老人に、点滴をしたからといってどれほどの延命効果が期待できるだろうか。多少の水分のみを与えられ、生きてはいるが日増しにしなびていく肉親をみると、かえって辛いという家族も少なくない。ガリガリに痩せた親を見るのが辛いとして、面会の足が遠のくのはよくある光景だ。

そうはいっても、どんどん弱っていって死亡宣告したあとで、「こんなになるまで無理やり生かしたお前らはひどい」と怒られることもある。人それぞれに考えがあるのだから、何がベストなのかはよくわからないが、家族の気の済むまで老人に医療行為を施し続けるのはいかがかものかと私は思う。

「あきらめたらそこで試合終了だよ」というスラムダンク・安西先生の名言は医療では当てはまらないと思うんだが。