今年の診療報酬を見れば明らかだけれど、厚労省は病院施設ではなくて、自宅での医療や介護を強力に推進している。つまりは、「自宅で死ぬ」ということをプッシュしているわけである。
しかし、持ち家で死ぬ人ばかりではない。市営住宅などであれば特に問題になることもないのだろうけれど、借家で死んだ場合にはどうなるか。
大家サイドの立場はこうだ。
「貸家で死亡者が出た場合には、その旨を『重要事項』として借り主に説明しなければならない。自殺や殺人はもとより、病死や老衰死であっても不動産の価値を大きく毀損する。」
(結論)「借家で死なれては困るから最期は病院で」
ちょっと国土交通省に確認してみた。
1)賃貸物件で死亡者がいたという事実は、不動産取引において必ず説明しなければならない事項なのか
→ 宅建業法35条のいわゆる「重要事項」の中には、死亡者がいたかどうかは含まれていない。
(2)変死でなく、がんや老衰等で家族や医師らに看取られながら死亡した場合にも、その旨を必ず顧客に説明しなければならないか。
→ 宅建業法47条では、業者が相手方の判断に重要な影響をおよぼすこととなるものについて、故意に事実を告げないこと等を禁止している。しかし、判例から見て、一般的に病気や老衰による自然死はこうした重要な影響を及ぼすことには該当しないため、特に説明を要しない。
【東京地裁 平成19年3月9日】
老衰や病気等による借家での自然死については、当然に賃借人に債務不履行責任や不法行為責任を問うことはできない。
「借家であっても人間の生活の本拠である以上、老衰や病気等による自然死は、当然に予想されるところ」
【東京地裁 平成18年12月6日】
賃貸アパートにおいて、建物の階下の部屋で半年以上前に自然死があった事実は、瑕疵に該当しない。
「社会通念上、賃貸目的物にまつわる嫌悪すべき歴史的背景等に起因する心理的欠陥に該当しない」
(3)病死や老衰死の取り扱いについての通達やガイドライン、業界団体の取り決め等があるか。
→ 国からの通達やガイドラインはないし、業界団体の取り決めは承知していない。
これで借家で看取っても大丈夫、となるかどうかだがどうだろう。それにしても、いつまで経っても回答がこない厚労省とは違って、即答できる国土交通省の担当官の優秀さはさすがである。
2014年2月19日水曜日
2014年2月18日火曜日
放送大学に医学部新設 総務省方針
(虚校新聞から引用)
総務省は、所管する通信制の放送大学(千葉市)に医学部を新設する方針を固めた。18日、新藤義孝総務相が閣議後の記者会見で明らかにした。
新たに医学部が新設されることとなった放送大学は、教養学部のみの単科大学で、平成25年度は全国で約8万4,000人が学んでいる。大学受験を必要とせずに書類だけで入学でき、テレビやラジオで場所を問わずに受講できる大学で、必要な単位を取れば学士の学位を得られる。
医学部は入試をクリアしさえすれば、ほとんどの卒業生が留年もせずに6年間で卒業して医師免許を取得でき、就職先の心配をしなくて済むため、近年人気が高まっている。その一方で、「入試を突破したら最後、先輩から部活やアルコールによって骨抜きにされて学習意欲が著しく落ち、どこからともなく回ってくる試験資料のみを丸暗記してテストに臨み、クソ度胸だけが身につくところである」との指摘が東大安田講堂を封鎖した人たちの時代からなされていた。
新藤総務相によると、「総務省は行政監察も担当しており、行政の非効率は正さなければならない。このたび、国立である広島大学医学部において、神経解剖学の追試に120人が不合格となるなど、巨額の税金を使って学んでいる医学生の学習意欲が乏しいことが表面化した。単に医学部に在籍しているだけで将来も安泰、とおごっている医学生を駆逐しなければならない」と述べ、入試を課さない医学部の創設に意欲を見せた。
新たに設けられる放送大学医学部は、定員を設けず、医師になりたい者はあまねく受け入れる方針。座学はネットを用いた教育を行い、定期試験もネットを活用して行う。生化学や生理学などの実習は研究者を志望しない学生には割愛し、解剖実習のみプレステ4を用いたVRにて体験する。臨床実習は研修医が来ないへき地の病院の空いている枠を用いて順次行う。通常の医学部と同様に各学年1年ずつ留年ができ、最大12年間まで在籍は可能。
医師不足に即応できるよう、医師国家試験の教育に詳しい予備校関係者を教授として任命する予定で、MTMこと三苫 博医師(テコム講師、東京医大医学教育学教授)らの名前が取りざたされている。授業料は未定だが、医学部のカリキュラムには臨床実習が含まれることから、私立医科大学並みとなる予定。大学側は、初年度は5000人ほどの入学希望者があると見込んでいる。
放送大学医学部の卒業生の多くが国家試験に合格すれば、我が国の医師の需給は大幅にだぶつき、学生のころから勉強しない医学生は路頭に迷うだろう。
学長に内定した坂本義太夫 京都大学教授(医学教育学)によると、「弁護士だって食えねえ時代に、医学部に入ったぐらいで18、19のガキがエリートぶってんじゃねえよ。お前らも努力しねえと淘汰されるってことを叩き込んでやる。ぐはははは」と、新たな医学教育に向けて並々ならぬ決意を見せた。
総務省は、所管する通信制の放送大学(千葉市)に医学部を新設する方針を固めた。18日、新藤義孝総務相が閣議後の記者会見で明らかにした。
新たに医学部が新設されることとなった放送大学は、教養学部のみの単科大学で、平成25年度は全国で約8万4,000人が学んでいる。大学受験を必要とせずに書類だけで入学でき、テレビやラジオで場所を問わずに受講できる大学で、必要な単位を取れば学士の学位を得られる。
医学部は入試をクリアしさえすれば、ほとんどの卒業生が留年もせずに6年間で卒業して医師免許を取得でき、就職先の心配をしなくて済むため、近年人気が高まっている。その一方で、「入試を突破したら最後、先輩から部活やアルコールによって骨抜きにされて学習意欲が著しく落ち、どこからともなく回ってくる試験資料のみを丸暗記してテストに臨み、クソ度胸だけが身につくところである」との指摘が東大安田講堂を封鎖した人たちの時代からなされていた。
新藤総務相によると、「総務省は行政監察も担当しており、行政の非効率は正さなければならない。このたび、国立である広島大学医学部において、神経解剖学の追試に120人が不合格となるなど、巨額の税金を使って学んでいる医学生の学習意欲が乏しいことが表面化した。単に医学部に在籍しているだけで将来も安泰、とおごっている医学生を駆逐しなければならない」と述べ、入試を課さない医学部の創設に意欲を見せた。
新たに設けられる放送大学医学部は、定員を設けず、医師になりたい者はあまねく受け入れる方針。座学はネットを用いた教育を行い、定期試験もネットを活用して行う。生化学や生理学などの実習は研究者を志望しない学生には割愛し、解剖実習のみプレステ4を用いたVRにて体験する。臨床実習は研修医が来ないへき地の病院の空いている枠を用いて順次行う。通常の医学部と同様に各学年1年ずつ留年ができ、最大12年間まで在籍は可能。
医師不足に即応できるよう、医師国家試験の教育に詳しい予備校関係者を教授として任命する予定で、MTMこと三苫 博医師(テコム講師、東京医大医学教育学教授)らの名前が取りざたされている。授業料は未定だが、医学部のカリキュラムには臨床実習が含まれることから、私立医科大学並みとなる予定。大学側は、初年度は5000人ほどの入学希望者があると見込んでいる。
放送大学医学部の卒業生の多くが国家試験に合格すれば、我が国の医師の需給は大幅にだぶつき、学生のころから勉強しない医学生は路頭に迷うだろう。
学長に内定した坂本義太夫 京都大学教授(医学教育学)によると、「弁護士だって食えねえ時代に、医学部に入ったぐらいで18、19のガキがエリートぶってんじゃねえよ。お前らも努力しねえと淘汰されるってことを叩き込んでやる。ぐはははは」と、新たな医学教育に向けて並々ならぬ決意を見せた。
2014年2月1日土曜日
溺水ハウス
救急車で来ても、「ああ、残念だけど仕方ないね」とされてしまうシチュエーションがある。
その一つが風呂に沈んでおぼれた状態。
「いつも元気な90歳の婆ちゃんが、いつものように夕飯を食べて、食後に市販の風邪薬を飲んでから風呂に入った。いつまでたっても上がってこないので、家族が見に行くと湯船の水面に顔面を伏せた状態でぐったりしている婆ちゃんを発見。救急車で搬送するもあえなく死亡確認。」
「風呂で寝ると死ぬぞ、年寄りは特に死ぬからな」とぼくは外来で力説するようにしている。市販の総合感冒薬に含まれる抗ヒスタミン薬は眠くなる。老人だとまさしく「こうかはばつぐんだ!」
湯船が大きいときには仰向けの状態で風呂のお湯の中にずり落ちる。体育座りするような狭い風呂だと、カクンとうなだれて水面から鼻やら口からお湯が入って溺死だ。
追い炊き中に寝てしまうとなおさら悲惨だ。爺ちゃん・婆ちゃんの世帯では昔ながらの「バランス釜窯」とかいう、いい湯加減になったら手動で止めるタイプの風呂が多いと思う。これで、入浴中に寝てしまっておぼれ、そのままエンドレスにお湯が沸くとどうなるか。誰かが発見するまでぐつぐつ煮出されてしまう。ぼくが検案したケースだと、まさに豚骨スープ状態になっていた。
そのままお湯がなくなるまで沸かされれば、空焚きになって風呂から出火し、焼死体で発見される。
そのままお湯がなくなるまで沸かされれば、空焚きになって風呂から出火し、焼死体で発見される。
「カゼ薬、飲むなら(風呂)入るな、入るなら飲むな」である。
急変とみせかけて
「肺炎の高齢者が入院していた。呼吸状態が悪いので、酸素マスクで高流量の酸素を流していた。具合が悪いので家族が簡易ベッドを病室において付き添っていた。
家族が付き添ってから数日が経ち、肺炎もいくらか改善してきたころだった。夜中に、「先生、呼吸停止です」として呼ばれた。あらかじめ「蘇生処置は一切しないでほしい」という要望があったので、心臓マッサージなどはせず、そのまま静かに看取ることにした。呼吸が止まれば数分で心臓も止まる。担当医が駆けつけた時には瞳孔も開いており、家族がそろっていたので死亡確認した。死亡診断書を「肺炎」として記入した。家族に連れられて退院された。」
肺炎は日本人の死因の3位だそうで、高齢者の場合には突然呼吸が止まるという事態がわりとよくおこりうる。ここで触れたエピソードも別に何の変哲もない話だ。
ところが、重症の肺炎でぐったりしている人だとどうだろう。そりゃあ、うんとひどい肺炎の場合には挿管されて人工呼吸器管理されたりして、ICU管理となっているだろうから、家族が付き添うことは難しいだろう。そのかわり看護師がほぼマンツーマンで24時間対応してくれるので心配はいらない。
かといって、どこの病院にもICUがあったり、いつも手厚く看護師がいるわけでもない。不調を訴えてもすぐにナースコールを押せないこともある。モニターを付けていても、夜中だと看護師の配置が薄いので、常にチェックできているわけでもない。アラームが鳴っても、すぐに巡回に来られるわけでもない。
かといって、どこの病院にもICUがあったり、いつも手厚く看護師がいるわけでもない。不調を訴えてもすぐにナースコールを押せないこともある。モニターを付けていても、夜中だと看護師の配置が薄いので、常にチェックできているわけでもない。アラームが鳴っても、すぐに巡回に来られるわけでもない。
ぼくが担当した患者さんではないが、あまりに急な経過で死亡したので家族が酸素を止めた可能性を否定できない方がいた。
酸素を10Lとかで流している患者さんの場合、酸素のダイヤルをひねって0Lに勝手に下げればみるみる低酸素となり、呼吸は止まり心停止に至る。重症度にもよるけれど、その間早ければ数分というところか。心停止になったあとで酸素のダイヤルを元通りに戻しておけば何の証拠も残らない。
急に亡くなったわけだけれど、肺炎の経過と考えても一応の説明はつくし、何の証拠もないので警察に相談しても「病気で死んだってことで説明できるんですよね?」といわれおしまいとなった。警察としてはもしも司法解剖したところで、「重症な肺炎ですねー」という以上に何かわかるわけでもないので、本音は関わりたくないんだそうだ。
病院としても刑事さんにねちねち聞かれて業務が止まるし、「●●病院で医療ミス」なんてマスコミの餌食になると覚悟して連絡したのに、そんな木で鼻をくくったような対応なのかとあきれた。
酸素を10Lとかで流している患者さんの場合、酸素のダイヤルをひねって0Lに勝手に下げればみるみる低酸素となり、呼吸は止まり心停止に至る。重症度にもよるけれど、その間早ければ数分というところか。心停止になったあとで酸素のダイヤルを元通りに戻しておけば何の証拠も残らない。
急に亡くなったわけだけれど、肺炎の経過と考えても一応の説明はつくし、何の証拠もないので警察に相談しても「病気で死んだってことで説明できるんですよね?」といわれおしまいとなった。警察としてはもしも司法解剖したところで、「重症な肺炎ですねー」という以上に何かわかるわけでもないので、本音は関わりたくないんだそうだ。
病院としても刑事さんにねちねち聞かれて業務が止まるし、「●●病院で医療ミス」なんてマスコミの餌食になると覚悟して連絡したのに、そんな木で鼻をくくったような対応なのかとあきれた。
つまりは、その気になれば恨みや相続の関係で早く死んでほしいと願う家族が付き添って、暗くなるまで待って、酸素のダイヤルを一ひねりするだけで簡単に完全犯罪ができてしまうわけだ。
病院の夜は怖い。
2014年1月13日月曜日
看取りのアプリ
まだ開発中で試行錯誤が続いているので詳しいことは言えないのだけれど、看取りに関するスマホアプリを作っている。
「看取り」とか「終末期」とかの言葉尻からは、お先真っ暗なイメージを持ってしまう人も多いけれど、人生のフィナーレなのだから本人の好きなように緞帳を下してあげるのが僕ら医療者の仕事なんだろうと思う。クラシックのコンサートなら、演奏が終わった瞬間、われ先に「ブラボー!」と叫ぶ御仁がいるけれど、僕らも内心そういえるように患者さんの人生の閉じ方を演出できればと思う。
そんな役に少しでも立てば、というアプリなのだけれど、イラストが必要になった。私は図工も美術も成績が2(ほんとは1だがお情けで2)だったので、絵心はまったくない。胸部レントゲンのスケッチぐらいなら得意だが、イラストなんて及びもしない。
そんな中、ツイッターでお願いしたところ、快くイラストをお寄せいただいた。
Kage(@877_727)さんの作品
1/10の深夜にお願いしたら、なんと翌朝にはお送りいただいたので、夜遅くまでかけて描いてくださったのでしょう。なんともありがたい。
引き続き、心温まるイラストを募集していますので、mhlworz@gmail.comまでお寄せください。
ブログやアプリに掲載させていただきます。
(著作権は描いていただいた方のものですが、当方から対価のお支払いはできませんのでご了承ください)
2014年1月8日水曜日
DNARの裏の意味
◯DNARとは
入院した患者さん、あるいは家族からDNAR(do not attempt resuscitation)の承諾をもらうことがある。病院によってはDNR(do not resuscitation)というかもしれないが、こっちはやや古い言い方のようだ。言葉の詳しい定義や背景は日本救急医学会のwebをご覧いただきたい。
高齢者医療に関してDNARといえば、ぶっちゃけた話、「息が止まってたら、そのまま蘇生なんかしないで死亡確認しますけどいいですよね?」ということを意味する。承諾をもらうときには相手をみて、「深夜の巡回とかで見つけて・・」とか、飲み込めるような具体的なシチュエーションを枕詞にして、ショックを和らげる工夫をする。信じられないことなのだけれど、爺ちゃん婆ちゃんが無限に生き続けるかのように思っている家族が案外多いからだ。入院したらヒットポイントのゲージが満タンになって帰れるかのように錯覚する人も多いし。
医者の本音としては、病院で大勢のスタッフの目の前で倒れた若い人ですら蘇生は容易でないというのに、息も絶え絶えの高齢者は蘇生したって厳しいのは目に見えているので、あまりやりたくないのだけれど。
◯ 今夜も眠れない
当直をやっていると、褥瘡だらけで関節もガチガチに拘縮して、どうみても2週間以上前からメシがほとんど食えてなかったと思われるのに、「急に具合が悪くなったんです!」と言い張って救急車呼んできた、もはやカウントダウン状態の高齢者がくることも多い。自分はそういう老人は入院する必要なんてないと思っている。老衰に抗うことができる治療なんて申し訳ないが、ないんだもの。本人の意志を尊重して自分の家で看取ってもらうのがスジじゃないかと思うのだけれど、救急車で来た患者を家に帰すときには少なからずトラブルになる。
こういう人たちを相手に、夜中の3時とかに、こんな不毛なやりとりを何度と無く繰り返してきた。
ぼく 「寿命なので病院でやれることはありません。連れて帰ってください」
家族A 「心配なんで入院せさせてもらえませんか」
家族B 「うちらも仕事してるんで、日中こんな年寄りがいたら困るんです」
家族C 「お前ら税金(筆者注:医療費への税金投入のことらしい)で飯食ってんだろ。患者の家族が言うことにどうして従わねえんだ」
ぼく 「病院は医療が必要な人が入院するところです。老衰は治りませんので・・・」(最初に戻る)
救急車よりも先回りして病院に到着して、当直医をどつくほど元気な家族だったりするから、多勢に無勢というところはあるが、筋はきっちり通さねばいけないと思う。だけれども、僕のつたない交渉力ではどうしようもなくて、「経過観察」名目で入院となることもある。全例そうしているわけではないことは、自分のちっぽけな名誉のために強調しておくけれど。
そんなときには、「入院中に死ぬかもしれませんよ」と直截的に言い、「心臓や呼吸が止まったら蘇生を希望しますか」とも聞く。だいたいの家族は「蘇生って何ですか」と聞き返すので、「心臓マッサージや気管挿管、薬の投与などです」と答える。だいたい救急車で死にかけた老衰の人を送ってよこす家族は、「そこまでしなくていいです」とこともなげに言う。
治療(と言っても老衰に治療などないが)の内容についても、突っ込んだ話し合いをしていく中で、「点滴はしなくていいです」「酸素、いりません」というので、「じゃあなんで連れて来たんですか」と聞くと、「いやー、家で死なれると迷惑なんで。うち借家なんで、大家さんにうるさく言われるとアレなんでー」なんてホンネが聞ける。よくある話だけれど。
僕らからすれば、「一生懸命の治療をしたうえで、それでもどうしようもないときには、それ以上ご本人に鞭打つのはひどい話なので、蘇生処置はしません」というのが本来のDNARなんだろうと思う。だけれども、老衰の人を連れてきた家族なんかからすれば、「蘇生なんてまっぴら御免だし、とにかく治療もしなくていいから病院でさっさと枯らしてほしい」というものなんだろうと思う。
○病院は死ぬ場所か
しつこいけれど、病院には老衰の人を連れてきてほしくはないので、かかりつけのドクターに往診なり訪問診療をしていただくのがベストだと思う。ベテランの先生だったら、本当に見事に「枯らし」てくれる。点滴で水膨れになることもなく、棺から水が垂れることもない。水分が抜けて軽くなった遺体を持ち上げて、その軽さに家族が感極まって落涙するとも聞く。石川啄木の短歌みたいなものだろう。
かなり前になるけれど、僕が学生の頃、東京都監察医務院に見学にいったことがある。いわずと知れた法医学のメッカである。東京23区で医療機関が絡まないで亡くなった人には、監察医の先生が車に乗って現場に検視に行く。法医学教室の事件ファイルとかテレ朝の刑事ドラマみたいなケースはほとんどなくて、高齢者の孤独死がほとんどだった。
警察署のモルグで監察医の先生がポロっと言っていた。「かかりつけの先生がいたら、警察が臨場して俺たちが検視にいくような大ごとにはならなくて済んだんだろうにね」と。
入院した患者さん、あるいは家族からDNAR(do not attempt resuscitation)の承諾をもらうことがある。病院によってはDNR(do not resuscitation)というかもしれないが、こっちはやや古い言い方のようだ。言葉の詳しい定義や背景は日本救急医学会のwebをご覧いただきたい。
高齢者医療に関してDNARといえば、ぶっちゃけた話、「息が止まってたら、そのまま蘇生なんかしないで死亡確認しますけどいいですよね?」ということを意味する。承諾をもらうときには相手をみて、「深夜の巡回とかで見つけて・・」とか、飲み込めるような具体的なシチュエーションを枕詞にして、ショックを和らげる工夫をする。信じられないことなのだけれど、爺ちゃん婆ちゃんが無限に生き続けるかのように思っている家族が案外多いからだ。入院したらヒットポイントのゲージが満タンになって帰れるかのように錯覚する人も多いし。
医者の本音としては、病院で大勢のスタッフの目の前で倒れた若い人ですら蘇生は容易でないというのに、息も絶え絶えの高齢者は蘇生したって厳しいのは目に見えているので、あまりやりたくないのだけれど。
◯ 今夜も眠れない
当直をやっていると、褥瘡だらけで関節もガチガチに拘縮して、どうみても2週間以上前からメシがほとんど食えてなかったと思われるのに、「急に具合が悪くなったんです!」と言い張って救急車呼んできた、もはやカウントダウン状態の高齢者がくることも多い。自分はそういう老人は入院する必要なんてないと思っている。老衰に抗うことができる治療なんて申し訳ないが、ないんだもの。本人の意志を尊重して自分の家で看取ってもらうのがスジじゃないかと思うのだけれど、救急車で来た患者を家に帰すときには少なからずトラブルになる。
こういう人たちを相手に、夜中の3時とかに、こんな不毛なやりとりを何度と無く繰り返してきた。
ぼく 「寿命なので病院でやれることはありません。連れて帰ってください」
家族A 「心配なんで入院せさせてもらえませんか」
家族B 「うちらも仕事してるんで、日中こんな年寄りがいたら困るんです」
家族C 「お前ら税金(筆者注:医療費への税金投入のことらしい)で飯食ってんだろ。患者の家族が言うことにどうして従わねえんだ」
ぼく 「病院は医療が必要な人が入院するところです。老衰は治りませんので・・・」(最初に戻る)
救急車よりも先回りして病院に到着して、当直医をどつくほど元気な家族だったりするから、多勢に無勢というところはあるが、筋はきっちり通さねばいけないと思う。だけれども、僕のつたない交渉力ではどうしようもなくて、「経過観察」名目で入院となることもある。全例そうしているわけではないことは、自分のちっぽけな名誉のために強調しておくけれど。
そんなときには、「入院中に死ぬかもしれませんよ」と直截的に言い、「心臓や呼吸が止まったら蘇生を希望しますか」とも聞く。だいたいの家族は「蘇生って何ですか」と聞き返すので、「心臓マッサージや気管挿管、薬の投与などです」と答える。だいたい救急車で死にかけた老衰の人を送ってよこす家族は、「そこまでしなくていいです」とこともなげに言う。
治療(と言っても老衰に治療などないが)の内容についても、突っ込んだ話し合いをしていく中で、「点滴はしなくていいです」「酸素、いりません」というので、「じゃあなんで連れて来たんですか」と聞くと、「いやー、家で死なれると迷惑なんで。うち借家なんで、大家さんにうるさく言われるとアレなんでー」なんてホンネが聞ける。よくある話だけれど。
僕らからすれば、「一生懸命の治療をしたうえで、それでもどうしようもないときには、それ以上ご本人に鞭打つのはひどい話なので、蘇生処置はしません」というのが本来のDNARなんだろうと思う。だけれども、老衰の人を連れてきた家族なんかからすれば、「蘇生なんてまっぴら御免だし、とにかく治療もしなくていいから病院でさっさと枯らしてほしい」というものなんだろうと思う。
○病院は死ぬ場所か
しつこいけれど、病院には老衰の人を連れてきてほしくはないので、かかりつけのドクターに往診なり訪問診療をしていただくのがベストだと思う。ベテランの先生だったら、本当に見事に「枯らし」てくれる。点滴で水膨れになることもなく、棺から水が垂れることもない。水分が抜けて軽くなった遺体を持ち上げて、その軽さに家族が感極まって落涙するとも聞く。石川啄木の短歌みたいなものだろう。
かなり前になるけれど、僕が学生の頃、東京都監察医務院に見学にいったことがある。いわずと知れた法医学のメッカである。東京23区で医療機関が絡まないで亡くなった人には、監察医の先生が車に乗って現場に検視に行く。法医学教室の事件ファイルとかテレ朝の刑事ドラマみたいなケースはほとんどなくて、高齢者の孤独死がほとんどだった。
警察署のモルグで監察医の先生がポロっと言っていた。「かかりつけの先生がいたら、警察が臨場して俺たちが検視にいくような大ごとにはならなくて済んだんだろうにね」と。
2014年1月5日日曜日
その気になれば
爺ちゃんが寝たきりになった。寝たきりだけど病気ではないので、入院はさせてもらえない。介護というけれど、面倒を見るためにもカネが要る。マンションの家賃とか、金利や株式配当みたいな不労所得があるわけでもないから、稼ぐためにはパートに出かけなければならない。でも、家に寝たきり老人を置いて行って、目を離している間にもしも死なれでもしたら警察沙汰。介護施設に入れるカネもないし、特養なんて何十人待ちかわからない。。
そんな気の毒な人が最近増えている気がする。
こういう時に「枯らす」技術の出番となる。
もちろんその気になれば、僕ら医者は高齢者の寿命を縮めることだっていくらでもできる。目の前で死なせることは技術的には造作もない。でも、やらない。医師免許を棒に振って、刑務所に入ってまで尽くしたい患者さんなんて、申し訳ないがいないもの。
これまで安楽死のために医者が手を下した事件では、医薬品を使っている。東海大学安楽死事件で使われた塩化カリウム、川崎協同病院事件で筋弛緩薬などだ。けれどもこうした薬品を使えば証拠が残るので、警察にタレ込まれて司法解剖になれば血液を分析すればすぐにバレる。死後、血液中のカリウムは上昇するので、塩化カリウムを急速投与して不整脈を起こして死亡したことなんてわからそうなものだけれども、それは素人の考えなんだそうだ。科捜研がその気になればカリウムの出所を突き止めることもできるんだそうだ。「画像診断一発で死因がわかる」だなんていう小説家にこっぴどく言われているけれど、日本の警察も法医学教室も優秀なのだ。
やるかどうかは別として、完全犯罪を目指すとしたら、たとえば、
・ 日ごろから水分を引き気味に管理していた患者に点滴をありえない速さで落とす。(心不全)
・ 呼吸状態の悪い患者の酸素投与を操作する。COPDの患者だと酸素をありえない量で投与すると、CO2がたまって呼吸停止する。肺炎の患者とかの酸素を止める。(呼吸不全)
こうしたテクニックを使ったとして、入院管理中に予期せぬ死を迎えた場合には、病院の管理責任が問われる。デスカンファレンスといって死亡症例の検討を行う病院も少なくない。病院内ではいつも誰かの目が光っているので、看護師さんのみならず、相部屋の患者とかからも事情聴取がなされる。そんなリスクを冒してまで、主治医が高齢者を「枯らす」というか「逝かせる」ことはまずないわけだ。
さらに、2014年の国会では医療法が改正されるようなので、これからは医療事故調査委員会が発動して調査しにくることになりそうだ。ますます病院で「枯らす」ことは難しくなるといえよう。
仕方がないので、枯れていくプロセスの中に死をビルトインすることが、問題が表面化しないコツだろう。これからはそのための方法論を書いていくことにしよう。
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