2017年4月30日日曜日
点滴エレジー
● お気軽に「点滴してください」という家族
老衰で食えなくなった老人に家族が望むことで、一番多いのが点滴だと思う。なぜかと問うと、「食べられないのは可哀想だから何かしてあげたい」という。家族の気持ちも分からなくはないが、自分はオススメしない。
なにより点滴はストレスだ。靴下を履いたまま布団に入った時の違和感といえばわかるだろうか。寝ている間に無意識で足でこすって脱いでしまう。老人でも同様に点滴を抜かれてしまうことが多い。管は血管に刺さっている部分以外は、テープやフィルムを貼って皮膚に留めているだけなので、体を動かせば当然抜ける。刺激のない入院生活でただでさえ前後不覚に陥っているのに、夜中に寝ぼけたような状態で、手や足に点滴が刺さっている事を意識もせずに動いたら、点滴の管を引っ掛けて針ごと抜けるのは当たり前。
抜けたら血が出て大変なのでは、とよく聞かれる。まあ、基本的には抜けた針穴にバンソウコウでも貼って何分か圧迫しておけば止まる。血が固まりにくくなる血液疾患などで、凝固因子や血小板がべらぼうに減っていたら大量出血するかもしれないが、そういう人は単なる老衰ではないので、しかるべき診療科の病棟に入院しているだろう。
よく血まみれになるのは、点滴の針が残ったまま、途中で点滴の管どうしの接続が外れているケースだ。点滴の針が入っているのは静脈だ。動脈に点滴することはないわけではないが、老衰の人で動脈に点滴をすることはない。静脈は動脈に比べて圧力が低いとはいえ、血が流れている血管なので血が出てくるのはあたりまえだ。
認知症の老人だと、点滴の管を引きちぎり、針は刺さったまま途中の管が外れ、それをプラプラとぶらさげて徘徊したりする。(引きちぎりと形容したが、正しくは点滴の管同士をつなぐコネクタ部分が外れる)。点滴の管(ラインという)が真っ赤に染まり、徘徊したあとにポタポタと赤い滴が床に連なっているのは、医療業界に身を置くものなら何度も目にする光景だ。ブンブン振り回せば、遠心力で脱水されて血があたり一面に飛びちる。そうでなくても、寝てる間に点滴を自分で外して、翌朝真っ赤になったシーツを発見されることもある。掃除が大変だなーとか思う前に、失血死のリスクが頭に浮かぶわけだが・・。
「点滴してほしい」という家族に応えると、下手すれば失血死で患者を死なせてしまう恐れがあるわけだ。
●血管がない
針を刺せる血管が無くなるという問題もある。老人に無理やり点滴すれば手足がむくむ。自分で飲み食いできなくなった老人は、心臓も悪いし腎機能も落ちている。補液した水分が尿として出ていかないので、点滴すればするほど余計な水分が体にたまる。余計な水は胸水や腹水として体の内部にたまることもあるが、手足に水が溜まりやすい。骨や筋肉に囲まれていないので空間に余裕があるためだ。
横道にそれるが、乳がんの術後にリンパ浮腫で手足がパンパンにはれあがった女性の苦悩を聞いたことがあるだろうか。リンパ管を流れて心臓に戻っていた水分が、手術でリンパ節をとったために行き先を失って手や足が腫れてしまう。水分で手足の重量がふえて、思うように動かせないという。
溜まった水分によって、ただでさえ薄い皮膚が延ばされるうえ、水びたしになっているのでテカテカになる。ぶよぶよになり、指で押せば指の形がしばらくキープされるほどだ。水ようかんと私は説明している。子供の頃に砂場で作った、ぴかぴかの泥だんごにも似ているかもしれない。
点滴する血管を探すために、駆血帯というゴム管などを使う。心臓に帰る血液の流れを止めることで、静脈がパンパンに膨れてくるので、そこをめがけて針を刺すという原理だ。
ところが、ブヨブヨの手足を縛ったところで、血管が浮き上がってくるわけはない。縛ったところから水が絞り出されて凹み、ゴムの痕が一筋つくだけだ。血管を締め上げる効果はない。ヤケクソになって水分でパンパンの手足に針を刺すと、水分が染み出してくるだけで血管に針が刺さることは望めない。
●「食べられないのは寿命ってことですよ」
厳しい現実を家族には理解いただくのは難しい。「こんな有様ですが、点滴するんですか?本当にそれでいいんですか?」と説明して意向を聞くのだが、粘り腰の家族もいる。
「じゃあ、血管じゃないところに点滴できないんですか」
その方法もなくはない。皮下補液とか皮下点滴とかいわれるもので、血管ではなくて皮膚に針を刺すものだ。皮下組織といういわゆる皮下脂肪に針を刺す。血管にダイレクトに水分を入れることはできないが、皮下の毛細血管から水分をゆっくりと吸収することはできる。
一見良さそうだが、1日に500mlとか1ℓがせいぜいだ。また、糖分が入った点滴は皮下に炎症や痛みを起こすので普通は使わない。水分をほんのり点滴する程度だが、脱水症の緩和には使えるというわけだ。
ただ、老衰で自分で食事を食わなくなった老人に、点滴をしたからといってどれほどの延命効果が期待できるだろうか。多少の水分のみを与えられ、生きてはいるが日増しにしなびていく肉親をみると、かえって辛いという家族も少なくない。ガリガリに痩せた親を見るのが辛いとして、面会の足が遠のくのはよくある光景だ。
そうはいっても、どんどん弱っていって死亡宣告したあとで、「こんなになるまで無理やり生かしたお前らはひどい」と怒られることもある。人それぞれに考えがあるのだから、何がベストなのかはよくわからないが、家族の気の済むまで老人に医療行為を施し続けるのはいかがかものかと私は思う。
「あきらめたらそこで試合終了だよ」というスラムダンク・安西先生の名言は医療では当てはまらないと思うんだが。
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