2015年5月16日土曜日

われら「長寿の刑」執行人

ある日の外来

「何回言わせるんですか。だから、うちの爺さんを死なせてやってほしいんですって!」

診察室で甲高い大声で吠える男性。眼光鋭く僕を見据えている。くたびれ果てている風貌からは、
還暦ぐらいの哀愁が漂うが、もっと若そうにも見える。

「こちらも何度も申し上げていますが、それは病院にいう話じゃないです。病院に連れてきたら、たとえ嫌でも助けられちゃうんですよ、自動的に。僕らの仕事ですから。そりゃあ僕らも本当にそうするべきなのかわからない人もいますよ。でも、死なせる権限は僕らにはない」

「だったらこのジジイの道連れになって、僕も死ねっていうんですか!カネもかかるし、自分も仕事辞めたから収入ないし、嫁にも逃げられたんだよ」

すごい剣幕で怒鳴る男性。丁寧な言葉づかいはなりを潜め、生の感情をぶつけている。

「いや、そういうわけでは・・・」

「だったら早く殺せ、殺せよ!早く!!」

僕を呼んだ救命救急センターのスタッフは、申し訳無さそうに下を向いていた。


Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。体育教師だったが、退職後に認知症が進んで意思疎通がまったく図れなくなった。もともと柔道で国体にも行った人で、教え子にも恐れられるほど厳しい人だった。生徒指導では床に霜の降りた冷たい柔道場に、暖房も入れずに何時間も正座させて足を凍傷にさせたり、炎天下でグラウンドを何周もさせて、熱中症で救急搬送させるような人であった。それも教育のためと信じていた。

認知症が進んで、人を人とも思わない暴言を昼夜問わずに放つようになった。散歩に出せば大声で下品なことを叫び、ズボンをおろして歩くので、警察に再三注意された。立って歩けてしまうので、要介護認定は施設に入れるほどの判定にはならなかった。ようやく見つけたデイサービスやショートステイでも二度と来ないでほしいと言われた。

しかたなく、自宅で世話をすることになった。日に3度の食事から入浴、家中に垂れ流すシモの世話、外出して店で万引きした際のお詫びと弁償、徘徊した時の捜索や町内会へのお詫びなど、奥さんが献身的にお世話をしていた。過労がたたって老々介護のさなかに奥さんが亡くなった。

それから悲劇が深刻化した。もともと鍛えていた体から繰り出されるパンチやキックで、骨折したりケガをしたヘルパーさんが後を絶たず、長期間待ってようやく入れた介護施設からは早々に追い出された。介護施設の間でもブラックリストがあるようで、あっという間に噂が広まり、預かってくれる施設もなくなった。ショートステイやデイケアでも他の利用者が逃げるから、といって断られた。

体調不良を頻繁に訴えるようになり、その都度息子さんが有休を使いながら、家で世話をしていたが、勤務先の会社から退職を勧められた。行き場がなくなったAさんは、自宅で暮らすことになった。そんな中、食事を豪快に嘔吐してつまらせ、発熱と意識障害をきたして救急車で搬送されてきた。

※このケースは特定の個人が同定されないように、一部脚色しています。

望まれない長寿

安定した生活が保証されていた会社をやめてまで、老親を家で介護していた息子さん。キャリアを捨て、所得を捨て、妻子に逃げられてまで介護しなければならない老人とは一体なにか。親というものは子供が不幸になってまで生きていなければならないのか。子供は親にとことん奉仕しなければならないのか。

病院で働いていて悲惨な人生に遭遇すると、そんなことすら頭をもたげる。

この話のように、「認知症になった身内の介護に困り果てている。糞便を垂れ流し、目を離せば家の外に徘徊し、大声を上げ続け、近所に奇異な目で見られる。こんないつ終わるともわからない介護地獄で疲れ果ててしまった。なにをしでかして呼び出されるかわからないので、フルタイムの仕事と両立は無理なので泣く泣く仕事をやめた。介護の費用もかかるし、収入も絶たれてしまったし、貯金も底をついた。できるだけ消えてもらいたい。首絞めて殺す訳にはいかない。病死とか自然死に見せかけて死なせることはできないのか」といった切実で悲痛な声をよく耳にする。

病院に救急車で運ばれてきたら、なにもしないで死なせる訳にはいかないので、あらゆる努力が払われてしまう。医療費の無駄だと言われることもあるが、それは僕らに言われても困る。

長寿の刑

認知症の人を抱える家族からすれば、医療従事者は時として余計なことをしているように受け止めると思う。僕らも散々なことを言われるが、それはある意味仕方がないことだと割り切っている。

そんな中でも、自分がかなり堪えた言葉がある。
「先生がたは老人を長らえさせれば給料になるんだろうけど、うちらにとっては地獄だ。(中略)お前らは『長寿の刑』の執行人だ!」

患者さんや家族が元気になるとか、生活が楽しくなるとか、そういった喜びのために医療をやっているつもりでいたが、バットで頭をぶん殴られた気がした。自分たちは、家族の人たちを追い詰めているのだ。かといって、具合が悪くなった高齢者に医療を受けさせないと、家族も保護責任者遺棄致死罪にでも問われるのだろう。医療を受けさせたら、命が助かっても施設をぐるぐるたらい回しにされる。袋小路だ。

法律の隙間を縫って、自然に「枯らし」てあげる医療をどうやったら実践できるのか。このブログはそうした問題提起でもある。

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