どうやら認知症になると、暑い寒いといった感覚すらも鈍感になるようだ。「蚊に刺されるから」と真夏に窓を閉め切ったり、「寒い寒い」と布団を体に巻き付けている高齢者もみたことがある。「盗聴されるから」とか「毒ガス攻撃をされるから」とかと必死の形相で訴える人は、別な病気があるようなのでその手の病院にご紹介したりもする。
さて、9月にもなると涼しくなってくるので、夏の風物詩の熱中症もなりを潜めて、いつもの病気が目立つようになる。
そう、誤嚥性肺炎だ。
誤嚥性肺炎は人間の最終形態というか、ラスボスである。これに勝つことは残念ながら不可能だ。古くから「肺炎は老人の友」というそうだが、人の死亡率はどんな医療行為を行っても100%という現実は変えられない。だから医療なんてクソゲーだ、と喝破する人もいる。まあ、その手で有名な「時空の旅人」のように、どんなにがんばってみても、結局エンディングは残念な結末という意味では、なにをやっても虚しい面はあるけれども、夢やロマンだけではご飯が食べられないのはぼくら医療従事者も一緒。
例えば、よくあるシナリオをみてみよう。
介護施設入所中
↓
認知症がひどくなった
↓
自力で食べなくなった
↓
食事介助が必要になった。
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食事でむせるようになった
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誤嚥性肺炎 発生!
↓
救急病院に搬送
↓
点滴・抗菌薬・絶食・リハビリ
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ある程度回復するが体力低下
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施設に戻るが再び誤嚥
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治療したが嚥下機能は低下したまま
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いよいよ食べられなくなった
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食べられないので介護施設では面倒見切れない
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胃瘻にしますか ・・・ いいえ
↓
転院先探し
↓
みつかりません。
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自宅に連れて行きますか・・いいえ。老人介護で共倒れはまっぴら
↓
行き先がありません。
↓
コマンド
①国や役所に電凸する
②選挙でK党に投票する
③コネを使って入院を求める
④ドクターキリコに消してもらう
⑤入院中の病院からの電話に出ない
⑥担当医を恫喝する
実際、行き場のない老人の誤嚥性肺炎だと、医療現場がどうにかできる部分はほとんどない。
治療がとっくに終わった人は、家に帰れればいいのだけれど、そうもいかない。家に連れて帰ったら家族が面倒を見なければいけないから、それはそれで家族には大きな負担だとは思う。だが、入院していれば社会がかぶるコストでもあり、老人は邪魔者よばわりされるゆえんである。
檀家がいなくなったお寺が増えていると聞く。本堂とかに、もう治療もしなくていいっていう人たちを寝かせておいてもいいんじゃないかとすら思う。どこかのお寺で引き受けてくれるのだったら往診にいってもいい。救急車がじゃんじゃん来る病院の医者は、声に出さなくても、多かれ少なかれそんな気持ちで行き場のない患者さんを案じているものだと思う。
結局治らない誤嚥性肺炎。
どうせ避けられない未来なら、笑い飛ばしてしまえという発想も成り立つ。
昔、大学の学園祭で聞いたラップ。
「誤嚥、肺炎、ステルベン*、ちぇきら!」
*sterben(独)より。死亡を意味する医療界のスラング)
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